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広島弁護士会会報(抜粋)
お百姓パート1(餞別)
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 広島弁護士会会報(抜粋)
お百姓 パート1(餞別)
山 田 延 廣
 深田久弥の「日本百名山」を読むと、久弥が日本全国の名山のうちから、百を選択するにの苦労したことを述べている。選外に落とすことは身を切る思いであったという。
 お百姓をやっていても同じ思いをすることがある。それは間引きや移植するときである。
 農地には限りがあり、育てた苗や蒔いて芽が出た野菜全てを、そのまま育てたり移植することはできない。必ず「間引き」や「移植」が必要となる。白菜、春菊、水菜、高菜などの葉野菜は種をバラバラに蒔き、ある程度に育った頃から間引いて、残った物だけをその場で大きく育てる。
 また、タマネギ、キャベツ、キュウリ、ネギなどの根菜類、果実類、豆類などは種を蒔き、ある程度成長したら一本宛移植してやる。つまり、「間引き」は必要としない物の排除であり、「移植」は必要とする物だけの保存である。いずれも選別に変わりはない。
 間引きされた葉野菜類の大部分は、「御浸し」にされるなどして少なくとも野菜としての効用を全うすることができるのであるが、移植されない苗は、哀れ、雑草置き場にゴミ類として捨てられ堆肥となる運命になる。
 土を耕し、肥料を撒き、畝を作り、種を蒔き、水をやり、雑草を抜いて育て、やっと一本立ちした野菜の中から、捨て去る物を選別するには複雑な思いがある。どれを選ぼうか、しばし迷う。まるで我が子の中から捨て去る物の選別である。
 当然に、大きく育ち、羽振りがよいのが残され、移植され、そうでない物は捨てられていく。それが世の選別の基準であろうし、人の世の中でもそういうものであろう(いや、中には人間関係とか、単に、上司の意見を忠実に従った等という基準だけで選別されるのかもしれないが……)。大概、それで選ばれた野菜だけがすくすくと成長していくはずである。
 しかし、面白いことに、中にはそうはいかない場合がある。「ある」と言うより多い。
 最初は大きく育った苗だと思って移植したのに、移植後に霜が降る等の気温の変化にやられたり、移植直後は多量の水分が必要なのに雨が降らず乾燥して枯れたり育たないことが度々ある。移植されずに元の場に放置されている野菜の方が雑草の中でたくましく大きく育っている。
 また、要らないと間引かれてゴミ置き場に捨てられた野菜が、そこが栄養分が豊富であるため、残された野菜より大きく育ったり、逆に、成長を期待されて間引かれずに残された野菜が、密集しているがために害虫が発生し、それにやられてしまうことがある。
 やおら、早く成長したばかりに移植されたり、間引かれずに残ったがため、野菜としての効用を果たし得なかったのである。
 このようなことを度重ねていると、早く成長した物が立派に育つとは限らないことを知る。そのため、移植されない捨てられるべき野菜もその場でできるだけ育てることにした。ある意味では予備軍の保存である。
 また、いたずら心に、大きく育った苗と小さい苗を一緒に移植して育ててやってみる。そうすると、確かに、大きい苗が早く大きく成長する(場合が多い)。しかし、小さい苗の方も必ず大きく成長をしてくる。かえって、他の苗が取り入れされた後に成長してくれるために、こっちの野菜の方が重宝がられたりする。
 早く成長するのが必ずしも良い結果をもたらさないし、遅れた成長が時には幸運をもたらす。そして、植えられた時期や場所という偶然で、その運命をも変えられてしまう。野菜の人生(?)も偶然が大きく作用する。
 まっ、今日、小中学校から早期選抜するエリート教育の必要性が叫ばれているが、所詮この程度と思われる。成長が早すぎた結果、移植されて早枯れ死し、逆に、エリート教育に選別されず、地元でじっくり育てられ、その環境に即応したが故に立派に成長する(場合もある)。
 また、エリート教育を唱える人々は、「自分はエリートで、自分の自助努力によって成長した。」と思っているのであろう。しかし、それは、たまたま周囲の環境が良く、時期はずれの霜や長雨が続かなかっただけかもしれないし、他の者をその場に置き換えたら、その者がより立派に育っていたのかもしれない。
 これを知らない人達だからこそ、「人間には、一握りの頭の良い参謀や経営のプロと大量の特殊技能者とがあり、それ以外はロボットと末端の労働者である」などという言葉が出るのであろう。
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お百姓 パート2 (環境変化)
山 田 延 廣
 畑を手に入れて「お百姓」を行い始めて早10数年の歳月が過ぎた。
 毎年再々、種々の野菜を植えて取り入れる。周りの山々は若葉が芽を吹き、青々と茂って所々に白、桃、朱の花を咲かせ、秋になると黄金色に染まり、そして、冬には静かに葉を落として眠り、再び若葉が芽を吹き出す。
 自然は、これを幾度も繰り返して何も変わらない……との感じがする。しかし、確実に大きな変化が生じている。それは、生き物が確実に減少しているということだ。
 私がここに来た頃は、数は少なくはなっていたが燕がいくらかはいたし、鬼やんま(蜻蛉)や揚羽蝶などのも数多くおり、ましてや、蝶や蜘蛛の類は何処にでもいた。
 しかし、燕の姿は全く見えなくなったのは当然としても、鬼やんまやアゲハのみならず、蝶、蜂、蜘蛛の姿さえ見なくなってしまった。確実に生き物が減ってきている。その原因は何処にあるかは分からないが、環境異変が生じているとしか思えない。
 その一つは、農業のやり方の変化にあるのかも知れない。この頃の稲作りでは田んぼには苗を植えるとほとん中に入らないで済む。昔のように雑草取りのために草取り機で田んぼの中をはいずり回る必要もない。雑草やイナゴのような稲作にとっての害虫は薬剤で駆除できるのである。
 しかし、これによって失われたものは数々ある。昔は、田んぼはオタマジャクシ、ゲンゴロウ、ミズスマシ等生き物の博物館であり、通学途中の子供には格好の遊び場だったが、今は生き物の姿を見るのが難しい。また、肥料代わりに育てていたレンゲ畑は姿を消し、天ぷら油が安く手に入りだすと菜の花(油菜)も姿を消した。すると、それとともにミツバチや蝶も姿を消していった。
 ある年、白菜を畑に残していたら春に白菜の花が咲いた。田舎育ちの私も、白菜は秋にはさっさと取り入れてしまうため、その花など見たことがなかったが、「アブラナ科」に属するといわれるだけに、菜の花とそっくりな黄色い花だった。その一群は黄色い絨毯模様となりとても綺麗なのだ。
 しかし、「花より団子」である。菜の花は「御浸し」にできるのだから、同じ仲間の白菜の花だって……と思い、「御浸し」にしてみると、これがなかなかいける。それ以後は、毎年、白菜の一部を放置して花を咲かせてやる。ついでに、大根にも花を咲かせたら、同じアブラナ科でも、大根の花は白くて質素で可憐である。野菜の花も棄てたものではない。私の畑だけが、3月という野菜の植え付けを始めるという時期に、時期はずれの花園になってしまった。
 すると、この蜜を取りにミツバチ、モンシロチョウ等の虫たちが群がり、虫たちの楽園になっている。白いモンシロチョウと蜂が群がるのを見て何故か心が和んでくる。もっとも、このモンシロチョウが、3月に植えたキャベツに卵を産み付け、これが青虫になって大事なキャベツを食い荒らすことを後に知るのであるが……。
 ともかく、綺麗な空気と水や花さえあれば生き物は蘇ってくるものなのだ。
 そして、小さな生物たちは、環境が少しで変化するとその生存さえも脅かされてしまう。なのに、人間なる生物は、この環境の中でよくも寿命を80年を超えるまでも長らえるものだと驚いてしまう。人間は、効率と利便を求めて何処まで走り尽くし、どこまで環境の変化に耐えうるのであろうか?
 現在、訴訟を行っている2号線高架工事に反対する住民が意見陳述で述べた「せめて2号線沿線の住民にもオオタカ程度の保護は行ってもらいたい。」との言葉が頭から離れない。
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お百姓 パート3 (雑草)
山 田 延 廣
 日曜日だけのお百姓で野菜を育てるにはどこかで手を抜かなければならない。水など一切やらないし、追肥などほとんどしない。これでも野菜は育つのであるから不思議ではある。逆に、あんまり手を掛けない方が野菜本来の生命力を伸ばすものだと勝手に思っている。
 しかし、夏になると雑草との闘いである。これは避けては通れない。1週間に1回行ってみると、折角、先週草取りをしたのに雑草だらけになっている。畑の草取りをすると、今度は果樹などを植えている畑の周りの雑草地を刈らなければならない。ここに草が生い茂げると、そこから虫たちが湧き出して野菜を食い荒らしてしまうのだ。
 このため、草刈り機で、夏には3回にも亘り、この雑草地の草刈りを行う。生い茂った雑草を草刈り機で刈り倒すのは一種の快感ではあるが、夏の暑いときに草刈り機を背負っての作業は結構、重労働ではある。
 この話を専業農家である依頼者にしたところ、「そりゃ、先生、野菜の元にシートを敷いてみなさい。草取りをすることはいらんから……」との言葉を受け、トマトやスイカ、ナスなどの夏野菜の元にシートを敷くようにした。こうしたら雑草から野菜は護られ、草取りの手間がかなり省けた。
 ダーウィーンの進化論によると、「神は無用なものは造り賜らない」という。夏の暑い日に雑草刈りをしながら、「雑草に何の役割があるのであろう」かとブツクサ言っていた。
 後に、この考え方は一変した。何年か前に、霊感商法弁護団でトルコ視察に行ってきた(何処で、霊感商法とトルコとが関係あるかは、これを計画した板根弁護士に聞いてみんさい)。トルコの中央台地は、雨が少ないため、行けども行けども木々はなく、台地も雑草さえ少ない。石ころだらけの土地から石を取り除いてかろうじて小麦畑として利用している光景を見た。これと引き替え、雨の多いわが国では、雑草が生い茂り、農地も放置しておくと直ぐに原野に帰ってしまう。
 雑草がなければこのトルコ大地のような光景になってしまうのかと思うと、雨の多さと雑草の多さに感謝しなければならないと思ってしまった。
 思えば、春や秋の初めに、鍬で畑打ちをしながら、雑草を一つ一つ取り払って野菜の植え付けをするが、仮に、雑草がなければ、土は砂漠のように固まり、耕すどころの話ではない。また、ゴボウやニンジンなどの多くの野菜は、芽を出したばかりの頃には雑草によって、日射から護られて成長し、その後、草取りをしてやってようやく一人前に成長する。また、この雑草を集めてビニールシートを掛けて発酵させ、堆肥として利用までしているのだった。
 やはり、雑草には雑草の役割があり、改めて「神は無用なものは造り賜らない」のだと再認識した。
 但し、雑草は、このビニールシートに少しでも隙間があるとそこから芽を出して大きく茂っていく。この雑草の忍耐力と生命力には驚かされてしまう。元近鉄の野球選手が「草魂」なる言葉を座右の銘としていたが、確かに雑草魂は見上げたものである。
 この国の子供たち(子供たちに限らないが)がたくましさを失ってきたという。農業が衰退するに従って、この国民が永年にわたり雑草と共に持っていたこの土着の感性や忍耐力も失われるのは当然のことかも知れない。
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お百姓 パート4 (植物の意識)
山 田 延 廣
 ある雑誌を読んでいたら「植物にも意識がある。」との記事が出ていた。植物にも意識があるのだそうだ。他の植物との生存競争に勝とうとする意識があったり、人に褒めてもらうと植物も気分が良くなり成長が早くなるという。
 これを読んで、昔、そう小学校高学年の頃、「牛にも意識があり、名曲を聴かせると乳のでが良くなる。」とする新聞記事を読んで「とんでもない!」と叫んだことを思い出す。子どものころ、私の家も他の農家と同様に家で牛を飼っていた。その頃の私にとって、「牛」、特に「ベッチ」(庄原の方言で子牛のこと)なるものは「大馬鹿者で、意識などなく、音楽など到底分かるはずがない。」と考えていた。 この子供心に、この牛にも名曲を聴く意識があるとの記事は衝撃的であった。
 何故、こうも子牛を馬鹿にし、憎んでいたかというと、父親が私を含めた子どもたちを前にして「言うことを聞かんお前たちより、ベッチの方がずっと可愛い。」と言ったことと、この子牛によって大きな被害をうけていたからだ。
 一人で留守番をしていると、子牛が、親牛が首を出してえさを食べる「首抜き」から牛小屋の外に出てしまう。その外にも納屋の戸があるのだが、夏にはツバメが納屋の中に巣を作り、子ツバメのためにえさを運んでくるため、30pくらい戸を開けてやっていた。どこの家でもそうしていた(考えてみると、昔は動物と人間とは共存共栄していたのだ)。このため、子牛はこの隙間から納屋の外に飛び出て、あたり近所を走り回すのだ。外で「モーン」という子牛の鳴き声を聞いたときはもう手遅れである。近所の畑であろうと田んぼであろうと、メッチャクチャに走り回す。子ども一人が「こらー!帰れ!」と怒鳴ろうが聞く訳はない。我が家の畑や田んぼだけではなく、近所中の田畑を走り回し、やっと親牛の「モー(帰れ)!」との鳴き声を聞いて猛烈な勢いで走って帰ってきて、私の方を見て「フン」というような顔をしてくる牛小屋に逃げ込んでしまう。
 その後が大変だである。近所の小父さんや小母さんが、怒った顔をしてやってくる。私しか居ないことを知ると、しょうがなさそうに「延ちゃん、ちゃんと留守番をしとかんといけんじゃない!」と叱責と諦めとが混ざったような小言をつらつらと言って帰っていく。
 帰ってきた両親は両親で、近所にお詫びに行った後、やるせないはけ口を私に向け「ちゃんと面倒見とかんと……」と、これまた愚痴とも言い訳とも言えない言葉を投げかけてくる。
 子牛はと言うと、何事もなかったように、「モーン」甘えたような声を出して頭を父親の体にすり寄せている。子牛にとっても、四六時中、薄暗い陰気な牛小屋に閉じこめられていることが絶えられず、気晴らしの行動であったのであろうが、子供心にはそんなことまで斟酌してやる余裕はない。
 私がやれることは「この馬鹿牛め!」と憎悪の言葉を投げかけるだけである。
 その牛が、名曲を聴いて感動して牛乳の出を良くするなんて考えることも出来なかったし、しようともしなかった。しかし、その後、学習により牛にも当然、脳があって人の言葉をある程度、理解したり、音楽さえも理解し得ることを知る。そして、あの子牛は、誰にどう甘えると自らに利益が生ずるかを既に知っていたのだすると……。
 そうなると、「植物にも意識がある。」なる言葉を昔のように「とんでもない」こととして聞き逃す訳にはいかない。
 畑に野菜の種を植えるとある部分だけが、一斉に早く成長する個所があるし、また、雑草の中に放っておいた野菜の方が元気に育ち、食べても美味しいことがある。先の雑誌の記事によると、植物同士が競争して成長が良くなるというのである。また、先程述べたとおり、褒めて励ましてやると植物も気をよくして良く育つのだそうだ。
 もしかすると、私の婆様(祖母)が植木や野菜に向かって、「ほうら、元気になれよー」と言いながら水や堆肥を撒いたりしていたのは、単なる惚けではなく植物と会話していたのかも知れない。
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お百姓 パート5 (百章と虚飾)
山 田 延 廣
 依頼者からよく「日曜日には何をやっているか」と聞かれる。聞く方は、多分、打合せの日もなかなか入らないような私のスケジュールを見て、裁判官のように日曜日毎、起案に追いまくられていて気の毒と思っての質問であろう。
 「仕事に追いまくられている。」と答えたところで、「大変ですねェ」の一言で終わりであろうし、私自身が日曜日まで働かないことにしており、意地も手伝って「土曜日は映画を見て、日曜日にはお百姓か、山登り。」と答えることにしている。とすると、怪訝な顔をして、「百姓(や山登り)の何が楽しいのか」とさらなる質問が続く。
 そこで、自分で「何が面白くてお百姓を続けているのであろうか」と改めて考えることとなる。
 成長した野菜を取り入れる収穫のおもしろさや、それを自分で食べるおいしさや満足感は当然としても、それだけでもない。
 何事でもそうであろうが、収穫時期というものはほんの一瞬であり、その瞬間までが長い。それまで、雑草を取り除いて耕転(土を耕すこと)して、種まきや苗の植え付け、中耕と追肥(生育途中に野菜の回りを耕して空気と肥料を地中に入れてやる)、草取り、支柱造り等多大な労力を要する。収穫までに手間暇のかかることが続き、これ自体が苦痛であっては収穫まで続かない。
 思うに、この一連の農作業が大いなる気晴らしになっているのかも知れない。
 延々としゃべりたい依頼者から必要なことをようやく聞き出して、眼がパシャパシャなりながらもパソコンを打ってようやく準備書面を出したのに、よく読んでもらっているのかどうか知らないが、裁判官から「はい、次はこの書面に対する認否反論を出して下さい……」といとも簡単に言われ、延々と何時まで続くか分からない反論と再反論を繰り返している今の弁護士業務は、結構ストレスを受ける仕事であり、お百姓はこれに対する格好の息抜きとなっているのかも知れない。
 精神的なストレス解消には、単純繰り返し作業により汗をかくことが一番良いという。とすると、黙々と畑を耕し、汗をかくことはこの最も効果的な方法かもしれないし、これは登山にも通じることであろう。特に、耕して綺麗になった畑を見ると部屋の掃除をした後のすがすがしさと相通じるところがある。そういえば、ある女性小説家が、「筆が進まないときは息抜きに部屋の掃除をする」と言っていた。
 しかし、私はどうも、今、「弁護士の仕事と『お百姓』の仕事のいずれか一つを選べ。」と言われると、「お百姓」と答えたい気持ちが強い。どうしてか考えるに、それは「お百姓」を単にストレス解消のためだけで行っているのではなく、お百姓、それ自体が面白いと思い込んでいるからだ。
 その理由の一つは、お百姓の仕事の多様さだろう。自らが農地を手に入れて農作業をしてみると、その仕事の多様さに驚く。ただ、耕して野菜を植えて収穫すればよいだけではない。前回述べたように草を刈り、それを集めて堆肥を作ったり、これを焼いて土にして畑に返してやる。野菜や「きゅうい」フルーツの支柱を作る。庭の草木の剪定をしてやったり、枝木を切り倒してやる。大きくなった植木を植え替えてやる。畑と草地との間に掘り出した石で石垣を造ってやる。グミの実やドクダミやお茶の新芽ができればこれを採り入れて、グミの実酒やお茶を作る……。
 農作業を行いながら、ある時には植木職人になり、ある時は石工になり、ある時は大工になり、ある時は茶摘みと製茶家になる。なかなか忙しいし、また、それが面白いのだ(最も、勝手気ままにしているだけで、専門家に見せられる代物ではないが)。お百姓は、様々な仕事をこなさなくてはやってはいけないし、仕事が細分化され単調繰り返し作業となっている現代において最も多様性のある職業なのだ。
 「お百姓」なる言葉が「百」の「姓」(職位)とからきた意味がよく分かる。
 そして、さらに、私がお百姓を続ける最も大きな魅力は、自然を直接に相手にしていることかも知れない。
 春になると凍っていた土が緩んでくる。ぽかぽかした陽気の中で黙々として畑を耕し、一汗かいていると、どこからか春を告げる鳥の啼き声が聞こえてくる。秋になり、鍬を降ろして近くの山々が色づいている姿を見て、その色彩の鮮やかさに見とれ、夕暮れ時にどこからか稲を刈った後の何ともいえない秋の臭いがやってくる。これを何年も繰り返していると完全に農夫の意識になってしまう。
 汗にまみれた顔、地下足袋を履いて麦わら帽子をかぶり、泥が付いているズボンをはいている自分の姿を見て、これが本当の人間らしい姿であると思われてくる。逆に、綺麗な洋服を着てブランド品のネクタイや装飾品を身に着けた平素の自分を含めた都会人の姿には、「虚飾」となる言葉が浮かんでくる。
 近くを走る車でさえ、「何をそんなに急ぐのであろうか」と思ってしまう。
 ところが、我が身が、畑仕事を終えて自動車に乗って帰路のため走り出した瞬間、この農夫意識はどこかに消え始め、高速道路に乗った瞬間、自分自身が都会人に変身してしまったことを認識してしまう。
 しかし、私の心のどこかが「これは虚飾だ」と、いつまでも叫んでいる様な気がする。
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お百姓 パート6 (ノウハウの後継)
山 田 延 廣
 ここ(福富町)に来てお百姓を行い始めて、既に、14年になる。
 これだけの期間が過ぎれば、当然、環境や状況も大きく変わってくる。
 当初、「若い人がよう来んさった。百姓をされてようござんした。」と言われた私も既に50歳を疾うに超えた。
 当然、回りの人たちも世代交代してしまった。お百姓のお師匠さんであった二人のおばあさんのうち、一人の姿を全く見なくなった。隣の畑のお婆さんに「どうされたんですか」と聞いたみたら、「もう2年前に亡くなりんさったでがんすよ」とのこと。
 そういえば、お婆さんが耕していた畑は、年に2回、息子さんらしき人が雑草退治に耕運機で耕したまま、何も植えずに放置されている。
 東隣の畑は、お爺さんが西条柿の木を植え、立派に成長して採り入れ時にはお裾分けしてもらっていたが、最近はとんと来られない。隣のお婆さんに聞いてみると、これまた「ああ、お爺さんも亡くなりんさった。」とのこと。柿の木畑は、雑草が生い茂り、あれほど大事にしていた柿の木は雑草に負けてかなりの木が枯れてしまい、その雑草は私の畑まで侵入してくる。
 このように、農業後継者が居なくなり、あちこちで、せっかくご先祖様が汗水たらして開墾してきた田んぼや畑が荒れ地や山林に戻っている。時代の流れだと言えばそれまでであるが、この情景を見てなんともいえない気持ちとなる。
 このため、私のお師匠さんは南隣のお婆さん一人となった。私としては、何時まで一緒に百姓が出来るか心配となり、「お婆さんはおいくつですか」と聞いてみた。「えぇー?わたしでがんすか?92ですよ。」と言う言葉に驚いて腰が抜けてしまった。どう見ても、70歳の半ばかと思っていたのに、90過ぎとは驚いた。そういえば、このごろ、話の内容がくどいと思ったりはしていたけど……。
 このお婆さんは、正に専門家である。私のように苗や種を買って来たりはしない。全て自家製である。芋類は、種芋を土の中に保存しておいて、それを翌年に植え付けし、豆やネギ、ほうれん草まで全て自分で種を取り、翌年蒔いているのである。
 種を買うのはせいぜい、大根、白菜とキャベツ程度であるそうな。
 私と言えば、殆ど苗を買ってきてその植え付けをしている。種から植えるのは、せいぜい、大根、白菜、豆、ほうれん草や春菊などで、しかも、それは種苗店から種を買って植える。
 一々、種を取る手間暇がないのと、種の保存方法が分からないのだ。ジャガイモや里芋くらいは種芋を植えようと置いていたら、冬の寒さにやられてしまったり(食べ尽くしてしまったり)して、種芋を買ってきてしまう。
 どういう方法で保存し、それをいつ頃蒔けばよいかは、その地域、地域で異なっており、これを知ることは大事なノウハウなのだ。思えば、堆肥の作り方はこのお婆さんから教わった。草刈りをして、それを積み上げ(これを田舎では「グロ」という)、その中に牛糞や家庭内の野菜くずを入れて醗酵させる。そのグロの上には藁束を置いて乾燥を防いでやると醗酵が早く進む。牛糞の肥料は、農協に頼めば軽トラ1杯を1000円で持ってきてもらえる。
 こんなノウハウを教えられたり、見よう見まねで教わってきた。その道の専門家は永年の経験からこれらのノウハウを蓄積しているのだ。
 このごろ、種苗店に行っても、西洋品種化が進み、ニンジンにしてもほうれん草にしても、昔のようなこぢんまりした真っ赤な種類はほとんどなくなってしまった。隣のお婆さんの昔ながらの野菜を見て、これが子どものころ食べたニンジンやほうれん草だと思い出す。
 もう何年もすると、このような野菜作りのノウハウはどうなっているのであろうか。いや、その前に、この国の耕地はどれだけ山野に戻っていくのであろうか。
 以  上
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