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刑事弁護物語
第23回刑事弁護物語 (最新)
1  私が弁護士登録して3ヶ月ほど経った時期に受任した恐喝事件です。
2  事案の概要は,ある若者が,他の1名と共謀してゲームセンター内で未成年の学生と成人男性から金銭を喝取したという,いわゆるカツアゲ事案です。
3  弁護人の活動として,被告人の意向を踏まえて,被害者との示談交渉が必要になります。
未成年被害者の示談交渉は,被害者の親とでした。被害者の親から電話口で相当な怒りのこもった言葉で責められ,とても被害弁償が可能な雰囲気ではありませんでした。その後に,何度か電話しているうちに,未成年被害者の親に被害弁償金を受領してもらえることとなりました。被害弁償場所は,指定された被害者宅近くのファミリーレストラン。なかなか緊張した場面で,被告人の行為を責められるも,こちらは,ただただ頭を下げるのみ。結果として,被害弁償が出来て,一安心でした。
4  他方で,成人被害者との示談交渉は混迷を極めました。まず,未成年被害者の場合と異なり成人被害者の住所及び電話番号を一切,捜査機関が教えてくれません。理由は,被害者自身が拒絶しているから。当然ながら,捜査機関,特に担当検事に抗議しました。弁護人が何らの理由なく,被告人やその関係者に被害者の住所や電話番号を明らかにすることは絶対にありえないからです。
被害弁償金は準備できており,検事に被害金を全額預けるので検事を通じて被害者に金銭を渡し,領収書を発行してください,と伝えました。しかし,捜査機関は民事不介入を原則とするため取り合ってくれません。
公判期日が迫っていたこともありますが,検事と交渉して,検事が被害者を検察庁に呼び検察庁の待合室を提供するから,その場で示談交渉をする,ということに落ち着きました。
その結果,成人被害者には検察庁の待合室で,被害金全額を受領してもらいました。
本件では,被害者調書は全て抄本化され,調書上は一貫して被害者の連絡先が秘匿されたままでした(ただ,成人被害者が領収書にサインする際に,名前と住所を書かれたため,領収書を通じて成人被害者の住所を知ることにはなったのですが)。
被害者の連絡先を秘匿された結果,示談交渉に重大な支障を来たしたのは事実ですし,特に今回のように被害者が被害弁償金の受領意思を有しているにもかかわらず,なぜ弁護人に被害者情報を秘匿するという事態になるのか,本当に大きな問題だと感じました。
5  公判では,被害弁償の点も書証として提出し,結果として執行猶予判決となりました。
示談交渉の難しさを痛感させられた事案でした。
 
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第22回刑事弁護物語
  弁護士登録をしてあっという間に1年が経過してしまいましたが、私にとって一番思い出深い刑事事件はやはり最初に担当した国選事件です。
 事案の内容は、当時無職の被告人が深夜神社に忍び込んで、賽銭を窃取したというもので、同種事案の追起訴1件ありでした。
 被告人はまだ30代と若く、前科前歴もありませんでしたが、弁護人としても全てが初めての私・・・。不安だらけのスタートでした。
 まず、最初に私がしたのは被害弁償を試みたことですが、本件では被告人に共犯者がいて、共犯者は既に裁判も済んでいる様子。記録から共犯者の弁護人の先生を発見し、連絡を取り被害弁償の状況を伺いました。
 共犯者の弁護人の先生から既に被害弁償を済ませているという情報を頂いたのですが、一応謝罪文を携えて2人の被害者のところへ伺うと、快く謝罪文は受け取って頂けたものの、「既に共犯者の方から被害相当の弁償を受け取っていますから結構ですよ。」と一人の被害者には被害弁償を受け取って貰えませんでした。
 そういう場合はどうするかを文献にあたって調べてみると、「贖罪寄付」という方法があることを発見し、被告人にそのことを伝えると、少しでも償いたいということで贖罪寄付をすることにしました。
 その後、身柄の解放を望む被告人と保釈について話をする中で、保釈を望む一番の理由を尋ねると、「裁判にはきちんとしたスーツを着用して出廷したい。」とのこと。父親が接見に来てくれる人だったので、差し入れを頼むことも出来るよと思ったりもしましたが、勿論保釈は被告人の権利ですし、父親が保釈保証金を出してくれるということだったので、保釈申請をすることにしました。 保釈は、すんなり認められてホッとしました。
 ただ、きちんと注意しなかった私が悪いのですが、被告人が公判に着てきたスーツがホストの様なキメキメスーツだったり、事前に注意していたのに時間の押した法廷で被告人が長々と手紙を読み上げたりと、ちょっとした想定外の出来事もあり、私には思い出深い法廷になりました。
 判決は無事に執行猶予が付き、今は彼が定職について真面目に働いていることを心より祈っています。
                                     以 上
  
 
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第21回刑事弁護物語
刑事弁護物語(裁判員裁判を経験して)
1  弁護人選任~起訴まで
  平成21年の某日午後,被疑者国選の担当日だった私は,いつものように事務所で過ごしていました。待機順位は4番目だし,事件の配転はないだろうと思っていた矢先,法テラスから配転のFAXが来ました。
  罪名と被疑事実を確認すると,裁判員裁判対象事件でした。こんなに早い時期に対象事件に当たるとは思っていなかった私は,びっくりするとともに,その日のうちに接見に行きました。
  被疑者段階では,被害者と被害弁償の交渉をするなどし,検察官には寛大な処分を求めましたが,結局裁判員裁判対象事件として起訴されました。
2  公判
  公判は合計3日間でした(3日目は評議と判決宣告のみ)。最初の2日間で結審まで行ったのですが,日中に審理を行った後,夕方から被告人との接見や記者会見をし,さらに1日目は,翌日の期日の準備もしなければならなかったので,かなりハードでした。
  公判では,情状証人の尋問や被告人質問の際,裁判員からの質問が予想以上に活発になされました。連続して4,5回質問する裁判員もいました。私見ですが,情状がメインで被告人の反省や更生に焦点が当たる事件だと,裁判員の人も質問を考えやすい面はあるのかもしれません。
  判決は,執行猶予付きの判決でした。
3  最後に
  この事件を振り返ってみると,何とか執行猶予が取れて良かったというのが正直な気持ちです。私の事件は,他の裁判員裁判ほど複雑な事件ではなかったと思いますが,それでも悩むことばかりで大変でした。周囲の方々の助けを借りて何とか最後までやり遂げたというのが正直なところです。
  裁判員裁判になったこともあり,本件では,逮捕から判決までの期間が半年間にも及びました。裁判員裁判対象事件は,公判前整理手続に必要的に付されることになっている上,公判前整理手続終了も,裁判員選任手続期日・公判期日までの間,裁判員候補者呼出のため一定の期間を空けることになっているため,時間がかかるという性質があります。その一方,本件では,経済的理由などから保釈請求ができず,結果として未決勾留期間が長期になってしまいました。
  判決は確定し,元被告人は再び社会での生活を送ることになりました。今回の事件を機に彼が再起更生してくれるのを祈っています。   
 
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第20回刑事弁護物語
1  ある恐喝未遂事件の話です。
 逮捕された被疑者は、今風の若者(男性)。
 警察署に行って接見し、本人から話を聞くと、このようなことが起こったそうです。
 自分の彼女が浮気をしていることがわかった。彼女の友達も一緒になって遊んでいることがわかったので、2人を呼びつけて、浮気をなじったり、怒鳴ったりした。もう一度話をするために2人に来てもらおうとしていたら、来たのは警察官で、逮捕されてしまった。彼女の友達が、被疑者から、責任を取れとお金を要求されたと被害届を提出したらしく、逮捕された、ということでした。
2  被疑者本人は、お金の要求など全くしていないということであったため、警察官に対してもきちんとそう話して、やってないことはやったと絶対言わない、調書を作られるときも中身をきちんと確認してくださいと、弁護人としてまずは基本的な説明をします。
 本人は、「わかりました。だけど、早く出たいから、すぐに示談して被害届を取り下げてもらってください。」と言います。相手の言い分を認めるわけでもないのに、示談はできないでしょうと説明するものの、彼は「何としても下げて欲しい。」と言います。「何なら全部認めるということでもいい。」と言い出すので、それはダメだ、あとから話を引っ繰り返すのは本当に大変だからと何とか思い止まらせます。
 困ったなあと思いながらも、被疑者本人も、怒鳴って彼女や友達を怖がらせたことは間違いないということなので、そのことについて謝罪して示談をお願いしようという方針になりました。
3   すぐに本人からの謝罪文を被害者へ郵送しましたが、なかなか電話が繋がらず、日が経つばかりで若干焦りました。検察官を通じて被害者に連絡するなどして、ようやく電話で話をすることができ、謝罪をすると、意外にも受け入れてくれそうな様子。今後自分に一切関わらないという約束さえしてもらえればいいということだったので、すぐに被疑者本人に誓約書を書かせて郵送し、示談の話をするためにお会いすることとなりました。
 示談交渉自体は、円満な雰囲気で滞りなく進み、示談書と被害届の取下書にサインと印鑑をもらい、「ご迷惑をおかけしました。」と言って車に戻ったときは、(当日が日曜日だったこともあり)さすがに少し嬉しかったものです。
4   翌月曜日、意気揚々と、検察官に示談できたことの報告の電話をすると、「ああ、そうですか。じゃあ書面見せてもらえますか。」と素っ気なく言われます。書面を出すと、検察官から連絡があり、「明日にでも本人を呼んで、もう1回話を聞きますから。」とのこと。あれ、それだけ?処分について話はないの?と思いつつ、「処分はよろしくお願いしますね。」と言い、勾留満期まであと3日か、起訴猶予になるかなあと考えていました。
5   そうだ、被害届の取下げを誰より望んでいた被疑者本人に伝えなければならないと思い、その日の夜、これまた意気揚々と警察署へ接見に行きました。
 すると、被疑者がいきなり「明日出られるんですね、荷物まとめました。」と言い出します。何を寝惚けてるんだ、勾留満期はまだだろうと言いかけたところ、「検察庁から連絡があったんですよ。明日釈放になるっていわれました。」と畳みかけられます。
 拍子抜けして、椅子から落ちそうになるところを踏ん張り、「いや、示談の報告に来たんですけど。」と念願の一言を言うと、「ああそうみたいですね。すいませんでしたね。」と言います。もう完全に拍子抜けしてぐったりしてしまいました。
 聞くと、示談ができたので勾留満期前に起訴猶予で早期に釈放ということになったそうです。結果としては早く釈放になり、万々歳であったのですが、なんとも間抜けな知り方をして、喜びも半減といったところでした。
 そして、彼は、翌日午前に20日間弱の身体拘束から解放されました。
6   以上が事件の顛末です。
 逮捕されてから起訴される(勾留満期)までは本当にあっという間です、その間に弁護人としてやらなければならないことの多さを痛感させられた事件でした。
 
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第19回刑事弁護物語
1   罪名は窃盗、スーパーでの万引き事案で、被告人国選弁護についた件の話です。
 接見に出向いたところ、起訴事実に間違いはなく、窃盗の犯歴、前科があるとのこと。もう2度としません、弁護士がついても実刑になるのですか、と泣かれてしまいました。
 記録を読むと、執行猶予中の犯行であり、しかも前回の判決から半年ほどしか経っていないことが分かりました。実刑になる可能性が高い事案です。
 ただ、今回の事案は数千円程度の窃盗で、全額弁償も済んでいました。私が弁護人についた時点で、家族が弁償を済ませていたのです。
2   すぐに本人の希望どおり、保釈の申請にとりかかりました。
 早々に、保釈を申請しますと連絡をいれ、裁判官に面接を申しこみました。ただ、身柄請書の方が間に合わず、書面提出の方が後になってしまいました。
 ところで、この被告人、体調がよくありませんでした。数日間の身柄拘束中にも痩せてしまったといいます。そこで、犯行を認めていて罪証隠滅のおそれもない、逃亡のおそれもないという主張に付け加えて、勾留し続けたら体調が心配ですよ、ということを強調しました。
 保釈は無事に通りました。
3   それから、被害弁償が済んでいるので、被害者である店長に示談書の作成をお願いしました。「被告人のことを許す」、という文言の入った示談をお願いしところ、幸い快く応じてくださいました。
4   公判に入って、証拠として提出したのは、示談書等に加えて、診断書です。被告人には継続的な治療が必要という内容のものです。検察官は示談書について同意を留保し、診断書につき関連性なしとの意見を述べましたが、情状立証に関する証拠であるということで、両者とも職権で採用となりました。
 しかし、一回で結審した後になって、被告人について入院が必要と医者に言われていたという話を、公判で示せなかったことに気付きました。どうにか実刑を回避したいとの思いから、入院加療が必要である旨の診断書を出してもらえないか、医師に頼みました。担当医のところには入院施設がなかったため、多少拒否的ではあったものの、交渉の末、入院加療が必要、という内容の診断書を書いてくださいました。
 判決言渡し期日に、弁論再開がなされ、診断書の取調べがなされました。
5   ここまで来ると、弁護人としては、何故だか再度の執行猶予判決が下るような気がしてきます。一旦休廷し、言渡しまでの数分間がとても長く感じられました。
 しかし、結果は実刑でした。
 確定後しばらくして、再保釈で出ていた被告人は収監されました。
 保釈保証金を被告人の家族に渡し、弁護人の任務は終了しました。
6   被告人は、終始反省しきりでした。刑務所に入れたら生命に危険があるぞ、と弁論しましたが、実際には収監されても、元気に更生に向かうことを強く望んでいます。
 本人が今回こそは変われると言っていただけでなく、家族も今回の被告人の反省の度合いは前回までとは違うと感じると言っていました。
 前回が略式で済んだことが、かえって良くなかったのかもしれない、という気もしています。今回の犯行は、次の犯行で実刑になる(可能性が高い)ことを、意識せずに行ってしまったことによります。前刑は、そこまでの反省の契機になっていなかったように感じました。
 もっとやりようがあったかもしれないと感じるのは、被告人の体調と精神状態、責任能力との関係についての主張です。医者と直接話して無理だと考えて、鑑定申請などは行いませんでした。しかし、体調は、ものの思考にも影響を与えるという話も出ていたので、為す術はあったのかもしれません。
 本件は、被告人の犯した罪に相応する科刑の観点と、被告人の更生の観点がリアルに衝突する、結果としては弁護人の無力さを感じる事件でした。
 
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第18回刑事弁護物語
1   私が、弁護士登録後1か月に初めて国選弁護人に選任されたのが本件事件です。
2   事件の概要は、被告人が仕事を終えて、夕飯を食べながらお酒を飲んだ後、車で帰宅中に、後方から進行してきたトラックにちょっかいを出されたことに腹を立て、トラックを止めた上、トラック運転手の被害者に暴行を加え、傷害を負わせたという、道交法違反と傷害の事案でした。
3   記録を謄写して読んで、飲酒していたので記憶がなかったりしたら大変だと思いながら接見に行きました。被告人は、事件のことをきちんと覚えており、自分がやったことに間違いないと話してくれたので、私は、自白事件と判断しました。
 被告人には交通事故関係以外の前科・前歴がなかったので、後は被害弁償をして示談できれば執行猶予は間違いないと思いましたが、被告人自身は被害弁償するお金がなく、親族とも疎遠なので親族に頼むことも出来ない状態でした。さらに、被告人は本件により勤務先を解雇されていましたが、元勤務先の上司が被告人のことを気に掛けてくれていたので、元勤務先に情状証人として出廷してもらうことになりました。
 そこで、私は、被害弁償は無理でも被告人が反省を示そうと考え、被告人の被害者宛の謝罪の手紙と、裁判官宛の謝罪の手紙を書証として提出し、後は、元勤務先の上司に情状証人として証言してもらい、被告人質問をして結審するという、弁護方針で公判に臨むことにしました。
4   私にとって初めての刑事裁判法廷となる第1回公判がやってきました。ちょうど裁判傍聴セミナーの日で、傍聴人が50人くらいおり、気を引き締め直しました。
 検察官請求証拠には全部同意して、すぐに弁護側の立証に移りました。裁判官宛の手紙を原本ではなく、写しで提出するミスがありましたが、情状証人の尋問は、証人が被告人のために社会復帰後の就職の世話をすること等、考えていたことが証言として出せました。
 その後の被告人質問では、被害弁償ができなかった事情を聞くよりは、これからどうやって被害者に償っていくかを聞きました。また、被告人の反省を示すものとして、既に取り調べられた被告人の手紙に加え、法廷でも謝罪の気持ちを言ってもらいました。
 被告人は、パチンコで大負けをしていらいらしていたことと、酒を飲んで判断力が低下していたことを犯行の理由に挙げていましたが、裁判官は補充質問の質問内容からすると、パチンコで負けたり、酒を飲んだりしても、普通は人を殴らないのだから、被告人の挙げた理由は真の理由ではなく、これでは謝罪したことにならないと厳しく考えているようでした。
 私が、被告人に謝罪の手紙を書かせたのは、被告人に反省を深めてもらいたいがためだったのですが、結果的に、形だけ反省の言葉を引き出していたに過ぎないことを思い知らされました。私がすべきだったのは、裁判官宛の手紙をただ書かせるのではなく、被告人との接見で、「なんで?なんで?」と問いかけることで、被告人がしたことに向き合わせ、法廷でしゃべらせることだったと気付きました。
 補充質問を終え、裁判官は「これで結審してもよろしいでしょうか。」と私に意見を求めてきました。私が「はい。」と返事をすると、裁判官は「本当に、これで結審していいのですか。」と怖い顔をしてこちらを見ましたが、私は「はい。」と答え、1回で結審することになりました。
5   結審後、裁判官に念押しされたことが心配になり、先輩の弁護士に相談したところ、被害弁償できなかった過程を裁判所に明らかにしていないので、裁判官は、まだ被害弁償の余地があると判断し、もう1期日入れようとしたのだと気付きました。
 私は、判決言渡期日までの間、被告人の了解を得て元勤務先の上司から被告人の未払給料から数万円を出してもらい、さらに、再度、被告人に自分のしたことに向き合わせて、被告人が被害者を殴った理由、被害者に対して被害弁償ができない理由を、できるだけ詳しく被害者宛の手紙に書いてもらいました。
 その上で、私は、被害者に電話して、被告人の手紙と被害弁償金を渡したいとお願いしましたが、被害者感情が厳しく私の願いは届かず、逆に検察側から、被害者の意見陳述を行うという話になりました。私は、まさか意見陳述まですることになるとは思ってもみなかったので、これは、もしかしたら実刑になりかねないと、悩みました。
6   このようにして迎えた判決言渡期日、検察側、弁護側双方から弁論再開の申し出があり、弁論が再開されました。
 私は、被害弁償ができなかった経緯を書いた報告書と被告人の被害者宛の再度の謝罪の手紙を提出しました。検察官は、起訴状の記載より治療が長引くという診断書を提出し、さらに、被害者の意見陳述がありました。被告人は、意見陳述後の、再度の被告人質問で、被害者の方を向いて涙ながらに謝罪しました。
 結局、被告人には、懲役1年6月、保護観察付き執行猶予の判決が言い渡されました。
7   私は、本件事件を通じて、実務的なやりとりに慣れることの必要性、具体的事実を裁判所の前に顕出することの難しさ、悩んだときは他の先生に意見を求めることの重要性を痛感しました。
 弁護人の職務は、弁護士だけにしか認められていない重要なものだと思います。これからも、困難な事件も含めて刑事事件に取り組んでいきたいと思います。
 
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第17回刑事弁護物語
 弁護士になって早1年が過ぎ、刑事事件も10件以上担当しました。この原稿を書くにあたり、印象深かった事件はどれだろうと思い出してみると、パッと頭に浮かんだのはやはり最初に担当した事件でした。
 事案自体は、スーパーでおにぎり等の食料品を万引きしたという単純なものでした。
 しかし、関係者の事情は以下のとおり複雑なものでした。果たして公判はどうなるものやら・・・予想がつきませんでした。
 被告人:60代男性。耳がものすごく遠くて、接見でも大声を上げないと聞きとってもらえませんでした。接見室の外にも絶対聞こえてしまっているなと思いつつ・・・
また、これもお歳のせいで仕方のないことかもしれませんが、記憶力が非常に悪くて、自身が1分前に話していたこともよく覚えていないのです(大げさな、とお思いになるかもしれませんが、本当にそうだったのです)。
 被告人の妻:被告人より10歳近く年上の70代で、家の中で転んで骨折し入院中。
ちなみに、被告人が万引きしたのは、妻とけんかして家出して、お腹が空いたが、家に帰って妻に謝るのはしゃくだったからという理由からでした。
 被告人の娘:目が不自由(全盲)。
 弁護人(私):弁護士登録2カ月目の新人。初めての刑事弁護。
 被告人には、接見に行くたびに、「まずこれを書いて、次にこれとこれだけ書けばいいですから」というように細かく指示して、謝罪文を書くように言ったのですが、何回説明してもひとつも書いてくれません。最初はやる気がないのかなと思ったのですが、何回も接見に行くうちに、どうやら書くべきことを本当にすぐ忘れてしまってどうしても書けないらしいということが分かりました。仕方がないので、謝罪文は残念ながら諦めることにしました。
 情状証人も、問題がありました。妻は入院中で無理なので、娘にお願いしたのですが、「あの人(被告人)には今まで何十年と言ってきたけど、全然分かってくれない。無駄です!」と強硬に固辞され続け、このままでは、やることが被告人質問しかなくなってしまうぞ・・・(汗)と非常に焦ってしまいました。あの、耳がものすごく遠くて、公判の打合せをしても全然覚えてくれない被告人が・・・法廷で被告人質問を受けている姿を思い浮かべると、大変心もとなく、やはり娘に情状証人をなんとか引き受けてもらいたい一心で、何回も電話をかけて「お父さんに最後のチャンスを与えてやって下さい」とねばってみました。その甲斐あって、後日娘が情状証人として出廷することを了承してくれました。そのときは本当にホッとしました。
 公判では、目が見えない娘の手を引いて傍聴席から証言台の前まで連れて行ったり、被告人質問では裁判所から借りた補聴器の調子が悪くて、被告人が「ちょっと待って下さい」を連発し、そのたびに書記官が被告人のもとにいって補聴器の調子をチェックするため質問が何度も中断したりと、盛りだくさんな内容でした。しかし、そのおかげで初めての公判の割には緊張せず、・・・というか緊張する間もなく、気が付いたら終わっていたという感じでした。
 あれから1年が経ちましたが、執行猶予が付いた彼が奥さん娘さんと仲良く穏やかな日々を送っていることを願っています。
 
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第16回刑事弁護物語
 4月のとある日、僕はボスに割り当てられた当番弁護士のサブの代役として、事務所で待機していました。弁護士会からの電話がかかることなく、平穏無事に一日が終わるかと思われた5時5分前。電話がかかってきてしまいました。しかも2件…。FAXを見ると、1件は南署。もう1件は「山県署…」。どこ?
 広島に来て1年強の僕には、山県郡が広島県の北東の方にあるぐらいの知識しかありません。まず、山県署の検索から始めましたが、どうも今日これから行く気は起きない場所です。その日は南署の接見を済ませて、山県署は次の日の朝、レンタカーで行くことにしました(ちなみに、山県署とは旧加計署のことで、すぐ近くにバスセンターに通ずるバス停がありますが、本数はとても少ないです)。
 ただ、山県署への長旅をどんな被疑者が待っているのかとびくびくしながら、一人で車を運転するのはとても憂鬱です。僕は起訴前接見修習に協力するという名目で、修習生を道連れにすることを思いつき、添付資料に書いてある番号に電話したところ、うまい具合に2人も僕の旅行に付き合ってくれる修習生が見つかりました。
 2日目、人身御供を買って出てくれた2人の修習生を車に乗せ、僕は一路山県署に向かいました。受任せずにすめば…と願いつつ。
 山県署に到着して、手続を済ませ、接見を始めてみると、否認事件ではありませんでした。ただ、軽微な傷害事件で、被害者との示談が成立すれば起訴猶予になるだろう、でもお金はない…。残念ながら、見事に弁護人が必要と思われる事件です。弁護士を始めてたった4か月の自分が、他の先生に僕と同じ旅行を強いるなんて大それた事はできるわけもなく、泣く泣く弁護人選任届と法律扶助の申込書にサインしてもらいました。更に、警察に被害者への連絡をお願いした上で、押収された被疑者の携帯電話から示談金を立て替えてくれそうな知人の電話番号をメモさせてもらい、その日は事務所に帰りました。
 被害者からは、運よくその日のうちに電話があり、会ってもらえるとのことになりました。被疑者の知人にも何度か電話をしたのですが、結局その日は連絡をとることができませんでした。
 3日目の朝、事務所の電話の着信を確認してみると、被疑者の知人からの着信がありました。急いで掛けなおしてみると、やっと電話がつながりました。それから、被疑者が逮捕・勾留されていること、示談にお金が必要なことを説明しましたが、よくよく考えてみると、これは完全にオレオレ詐欺の手口です。最初は示談金を振り込んでもらうことを考えていましたが、考え直し、直接会って改めて協力を要請することにしました。
 4日目 この日は被疑者への経過報告と謝罪文の受取のために再度山県署へ車を走らせました。心優しい2人の修習生を乗せて。その日の夜、被疑者の知人と直接会って、示談金の立替に応じていただきました。
 5日目 いよいよ示談当日。この日も朝からレンタカーを走らせ、同行してくれた被疑者の知人とともに、待ち合わせ場所に向かいました。どんな人が来るかとびくびくしていましたが、被害者の方はとてもよい方で、示談交渉は拍子抜けするほどスムーズに進み、無事成立しました。
 というわけで、最終的には無事起訴猶予となり、僕の弁護士になって2度目の被疑者弁護は終わりました。1度目の時は、示談交渉がうまく行かなかったこともあって、その時よりは達成感がありましたが、終始バタバタしていて反省することも多い1週間でした。
 なお、結局レンタカーを3度使い、高速料金、ガソリン代も含めて、実費が2万円以上かかりましたが、法テラスに全額出してもらえました。
 
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第15回刑事弁護物語
1   弁護士登録をして3か月くらいたったころ、当番弁護で接見に行き、初めての被疑者弁護を受任することになりました。
 被疑罪名は公然わいせつ罪でした。どのような被疑者なのかなあと思いながら、接見室に入るとさわやかな青年が座っていました。被疑罪名と青年のさわやかさにギャップがあるなと感じつつ、「どうして逮捕されることになったの」と聞いていくと、「お店の中で・・・・・・陰部を出していました。」と恥ずかしそうに答えました。「何で店の中でそんなことをしたの」と聞いてみると、「奥さんが妊娠していて、・・・・・・性欲が溜まっていたんです」とうつむきながら答えました。
 彼は、大学卒業以来、まじめに会社に勤めていて、今回逮捕されたことを会社にはどうしてもばれたくないので、奥さんが会社には体調が悪いと伝えているということでした。「このまま10日間も勾留されたら、会社をくびになってしまう!」とものすごく心配していました。
 妊娠をしている奥さんのことを聞くと、「出産予定日が間近で、いつ子どもが産まれてもおかしくない状態なんです」と切々と私に話すのです。
 確かに、店の中で陰部を出すという行為は問題ではありますが、子どもが産まれる時に立ち会えず、仕事もクビになってしまうというのではあまりにも身体拘束による不利益が大きいと思い、身体拘束からの早期解放を目指して、被疑者弁護を受任しました。
2   奥さんから話しを聞いてみると、被疑者はいつもはすごく明るく、会社の中でもムードメーカー的存在だったみたいですが、最近は家族の病気のことでかなり悩んでいたということでした。
 勾留取消や勾留に対する準抗告、勾留の執行停止などの取り得る手段を検討した上で、準抗告をしようと思い、勾留状謄本の交付請求をして準抗告申立書の起案に取りかかりました。身体拘束から1日でも早く解放する必要があったので、奥さんに分娩予定日証明書等も取り寄せてもらいました。
 勾留に対する準抗告の準備を進めるのと同時に、検察官と交渉しておく必要もあると思い、奥さんが出産間近であることや大学卒業以来勤務している会社から解雇される恐れがあること、前科がないこと、事実を認めて反省していることなどを説明して身体拘束を解くように交渉していきました。
 検察官のはなしでは、被疑者は「陰部をずぼんから出していたが、コートで隠れていて外からは見えないと思っていた」などと公然性を否認しているので、勾留せざるを得ないと言っていました。私と会った時には、外から見える状態と分かっていたと言っていたので、その点を早急に確認してくれと頼み、明日までに出られなければ、職を失う可能性が高いということを再度強調しておきました。
 その後、検察官に確認してみると、公然性は認めていることが分かったので、勾留の満期を待たず、翌日に略式の処理をする、と約束してくれました。
3   被疑者は、翌日身体拘束から解放され、なんとか仕事はクビにならず、子どもの出産にも立ち会うことができたようです。
 最終的には、準抗告をすることなく、検察官との交渉で事件処理を早めてもらうことができましたが、被疑者弁護は、短期間で集中的に準備をしないといけないことが多いということを実感しました。
 
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第14回刑事弁護物語
1   はじめに
 今回は、いくつか印象に残った事件について書きたいと思います。
2   初めての要通訳事件
 初めての要通訳事件はマニュアルを見ながら右往左往でした。すぐに通訳の方がつかまればいいがと思いつつ事務局から送信されてきた司法通訳者名簿を見ると出動条件欄には「いつでも可」や「いつでも連絡可」の方も。署から近い方も何人かおられます。気をよくして条件の合う方をピックアップし順に架電。ところが軒並み「現在使用されておりません」との機械音声が。全然「いつでも可」じゃありません。
 これは今日中は無理かと思い始めたころ何人目かでようやくつながり、署で通訳者の方と落ちあうと早速接見の始まりです。被疑者は出稼ぎ外国人。まずはマニュアルどおりに形式事項を順に確認。当番弁護士制度をどこで知ったか訊いたところ、「オレは本国では弁護士をしていたので本国にいる時からもちろん知ってた」との返答。被疑者の国にも同じような制度があるのかと思って感心して尋ねると「そんなものはない」とのこと。ではなぜ日本の制度を知っていたのかついでに訊くと「本国で(日本法の)本を読んで知ってた」とのこと。被疑者はなぜか笑っています。被疑者はその後も時折今は生活苦で出稼ぎに来てるが本国では弁護士だを連発していましたが、話の本筋には関係ないので被疑事実について聞きすすめながらメモを取っていきました。被疑事実はオーバーステイのようです。話の途中被疑者が「自分は本国領事館の仮旅券を持っていた」というので「仮旅券所持」とメモしたところ、それを見ていた被疑者は突然怒り出しました。なぜ怒っているのか通訳の方に訊いてもらったところ「本物だ」とか「偽物じゃない」とか言っているとのこと。通訳の方によれば「仮」という漢字は被疑者の国では「偽の」という意味があるそうです。誤解が解けた後は一転友好ムードでトントン拍子に進み、1時間弱で接見終了。
 接見後、マニュアルによれば1時間までは通訳報酬5000円とあり弁護士において立て替え払いをしておくとのことだったので、5000円でいいか基準を説明しながら通訳者の方に訊いたところ、「まー広島だからこんなもんね」と言われました。やはり都会だともっと高いのでしょうか。
3   初扶助受任事件
 当番での初扶助受任事件は酔っぱらって乗車拒否されたタクシー数台を追いかけて窓ガラスを蹴破り運転手を引きずり出してボコボコにしたという被疑事件でした。器物損壊、傷害です。
 被疑者本人に資力はなく家族も県外で行き来すらないとのこと。また示談をする必要性も認められたことからその日の夕方にはすんなり扶助決定が下りました。
 私はその日の夕方扶助決定の連絡を受けると、すぐに被疑者から示談金の当てとして連絡を取るよう頼まれていた被疑者の彼女と就労先のオーナーに連絡を取るべくネットや電話帳で探し始めました。あいにく被疑者は店(クラブ)の名前と大まかな場所しか覚えていませんでした。私はネットか電話帳ですぐ見つかるだろうと思っていたのですが、しばらく調べてもまったくヒットしません(地図もダメ)。被疑者からもし電話番号が見つからなければその店に行って彼女の源氏名を指名してくれと言われていたことを思い出し、営業開始時間の夜8時ころとりあえずその方面へ行きしばらく探しましたが店自体見つかりません。半ば迷子です。
 1時間ほど放浪してこれは店名を聞き間違えたかと思いその日は引き返し、翌日の夜再び接見に行きました。すると、実は昨日私が接見を終えた10分後にオーナーが来て「私選弁護人をつけた」、「被害タクシー会社のうち大半とはもう示談した」、「残りの被害タクシー会社とも話がまとまりそう」と言われたとのことでした。
 こうして私の初扶助受任事件は受任の10分後には事実上終わっていました。私は、一応今後の見込みや手続だけ再度説明し、最後に「よかったね」と告げて接見室を後にしました。被疑者のすまなそうな顔に見送られて。その足で即辞任の届けを出しました。昨夜の数時間の苦労は徒労に終わりました。
4   こうしてみると我ながら人や事件に振り回されている感がありますが、いつかは不惑の境地に至れればよいなと思います。
 
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第13回刑事弁護物語
1   弁護士になって半年、初めての当番弁護がまわってきました。この日は、公務執行妨害1件のみ、県警本部留置場への出動でした。
 これまで県警本部留置場には行ったことがなかったので、弁護士と気づいてもらえるようにバッチをつけて、被疑者ノートを持って、チェックリストを持って、とちゃんと準備して行ったつもりでしたが、六法と弁護人選任届を忘れていました。
 接見したところ、被疑者は被疑事実を否認していたため、受任することになり、その日の夕方に再び弁選を取りに行くことになりました。
2   被疑者は2ヶ月前におきた軽微な公務執行妨害について通常逮捕されたらしいのですが、証拠収集も終わっており、病身で、子供がいる被疑者を、いったいなぜ逮捕しないといけなかったのかがまず疑問でした。
 とりあえず準抗告したのですが、あえなく棄却されました。
 警察や検察に、身柄解放してくれと言っても、被疑者が暴行(といっても、植木鉢を公務員めがけて倒したというだけで、怪我も物損もなかったらしいのですが)の記憶がないといっているために、このままでは事件を終わらせることはできないとういう対応でした。
 また、被害者にあたる役所のほうは被害届を取り下げる気はないという状況だったので、弁護人として何をしたらいいのかわからず、困ってしまいました。
3   結局、私のすることは接見して取調べ状況を聞き、アドバイスするだけだったのですが、取調べでどう供述するように言えばよいかわからず悩みました。
 被疑者とすれば、自分はやっていないと言う気持ちが強く、相手の人がそういうのならそうかもしれない、という供述も気持ちに反するようで、かといって、やってないといって、本当に起訴されたら身柄拘束が長くなるので困るというように揺れ動いていました。
 私のほうも、この程度の公務執行妨害が、必ず不起訴になるのかどうかが分からなかったため、相手の言うとおりかもしれないと認めたほうがいいよと言ってよいのかどうかわからず、被疑者と一緒に悩んでしまいました。
 そんな本件では、被疑者がたまたま面識のあった弁護士の方に大変お世話になりました。その方が刑弁サポート名簿にもお名前があるのをいいことに、何度もお電話して、まとまりのない相談に答えていただきました。また、接見にも来ていただきました。
 私は、被疑者に、あなたの知り合いの先生とも相談しているからと言いながら、取調べの対応を決めることができ、安心感がありました。
 この場をお借りしてお礼申し上げます。
4   結局、記憶がないのは記憶がないでしょうがないので、そのまま供述するが、相手の言うことは否定しないという玉虫色の供述で通すことに落ち着きました。
 本件は、勾留延長後、起訴猶予処分で釈放となりました。前日に検事から明日釈放すると聞いたときはとてもうれしかったです。
 といっても、私は示談ができたわけでもなく、ただ接見していただけでした。
 そもそも、軽微事件であることから、検事としても起訴猶予にしかしようがない事件だったのかもしれません。
 そんな軽微事案で、逃亡も罪証隠滅も無理と思われる境遇の被疑者が安易に逮捕・勾留されてしまう現状に疑問を感じた事件でした。
 
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第12回刑事弁護物語
1   これまでの私の当番弁護の出動件数は、副担当の日に1件も出動がなかったことがあるため、刑弁委員会対応での出動も含めて僅か4件と少ないのですが、その中で、印象深い1件を題材にしたいと思います。
2   それは、主担当の日の3件目でした。警察の留置場に勾留中の被疑者は、20歳を少し越えたばかりの青年で、人当たりのよさそうな大男でした。
 被疑者に話を聞くと、被疑事実はグループでの建造物侵入窃盗で、被疑者にはグループのリーダー格であるとの嫌疑がかけられているとのこと。先に実行部隊の一人が現行犯逮捕されたところ、芋づる式に被疑者の名前が出て、被疑者も共謀共同正犯として捕まったという事情のようでした。
 ところが、被疑者は「僕はやってません。捕まった奴は確かに知り合いだけど、僕は窃盗グループには入っていません」と断言。
 私は、そうか、やっていないのか、否認なのかと高鳴る胸を抑えながら確認しました。
 しかし、被疑者は、「とにかく早く出たいんですが、やってなくてもやったと認めていいですか」と、まるで教科書のようなことを言い出す始末。
 私は、「まあ待て。一刻も早く出たい気持ちは分かるが、よく考えろ。確かに、否認すると身柄拘束が長くなる上、結局有罪になる可能性も高い。が、しかし…」などと、これまた教科書通りに損得を示して、熟考を求めました。
 結局、その日は、否認の共犯事件のためか、きっちりついていた接見等禁止決定に対して準抗告をすることを約束して、否認を続けるか否かの結論は、翌日あらためて出してもらうことにしました。
3   翌日、私は、接見等禁止決定が一部取消しになったとの報告を枕に、被疑者に、結局どうするのかと尋ねてみました。
 「先生に謝らないといけないことがあるんです。実は…やってるんです」
 もともと被疑者の話には不自然なところもあったので、なんとなく嫌な予感はしていましたが、やはり脱力しました。
 早く出るために嘘をついているようにも見えず、私としては、「そう、じゃあ一刻も早く認めなさいね」と、ごくまっとうな助言をするしかありませんでした。
 どうして否認したのかと聞くと、「両親に犯罪を犯したことを知られて、心配をかけるのが嫌だったから」とのこと。
 両親のことを考えるなら、そもそも犯罪なんかするんじゃないよ、と普段温厚な私も思わず説教モードに入ってしまいました。
4   この被疑者は、もともと他県の住人で、グループで西日本を窃盗行脚中、広島でお縄になったという事情がありました。つまり家族も他県に住んでいるので、父親との接見は可能でしたが、物理的な問題から、父親もそう簡単には会いに来られなかったのです。被疑者は非常に孤立した立場にあったわけです。
 被疑者は、最初から「精神的に辛い。とにかく早く出たい」「家族からの手紙とかはいらない。却って辛くなる」などと言っていましたが、その言葉通り、大男の被疑者がだんだんと痩せ細っていくので、私は、父親と連絡をとり、余罪分を含めた全ての起訴を待ってから、保釈請求をすることにしました。
 幸い、前科がないこと、共犯者の裁判が既に判決にまで至っているといった事情もあり、保釈は許可されました。
 公判期日に再会した被疑者改め被告人の顔色を見て、私は、修習中、刑弁教官が「保釈請求は、あくまで例えだが、サラ金から借金をしてでもしろと言いたい」と熱弁を振るっていた意味を、少し理解しました。
5   事件自体は、結局同種余罪も含めて2件しか起訴されず、2件とも被害者と示談が成立し、うち1件は嘆願書も書いていただけました。
 そのおかげもあって、結果は執行猶予となりました。
 別れ際、「お世話になった刑事さんにも挨拶をしてから帰ります」と神妙な面持ちで去った彼が、その気持ちを忘れないまま、遠い空の下で元気に暮らしていることを祈ってやみません。
 
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第11回刑事弁護物語
1   今回は私が初めて日曜日の当番弁護を担当した時のことについてご報告したいと思います。
2   その日は当番弁護の担当ということもあり、朝から広島の平和を祈りつつ、事務所で仕事をしていました。私の祈りが通じたのか、午前中は出動の要請もなく、平和な時間が過ぎていきました。ところが、午後3時頃になって、携帯電話に連絡があり、東広島に行ってくれという出動要請がきたのです。私はその日はもう出動要請はないかもしれないと思っていたので、遠方への出動要請に受けたショックも大きかったのですが、気を取り直してJRで東広島まで行くことにしました。
3   留置場に着いて係の警察官に接見の申出をすると、警察官が突然私に耳打ちをしてきました。「この被疑者は暴れるんで気をつけてください。前に逮捕された時に来た当番弁護士の先生相手に、ぶち切れて大暴れしたんですよ。あんまり暴れる様だったら、すぐに切り上げて出てきてもらっても構いませんから。」と言うのです。私は、被疑事実が公務執行妨害罪だったこともあり、どんなに危険な被疑者なのかと内心恐かったのですが、そこは平気な風を装い、「そうですか。」とだけ応えてそのまま接見室に入りました。
4   接見室に入ってしばらくすると、眉毛が異常に薄く、いかにも悪そうな風体の青年が入ってきました。私がやや緊張して椅子に座っていると、彼は値踏みするような目つきで、私の姿をじろじろと観察してきました。そして、ふてぶてしい表情を浮かべると、彼はやや乱暴な動作で向いの椅子に腰掛けたのです。彼は椅子に腰掛けてからも、しばらく私を鋭い目つきで睨めつけてきました。私も負けてはいけないと思い、彼の目を直視し続けました。接見室にはピンと張りつめた空気が漂い、私はいまにも彼が暴れ出すのではないかと内心ビクビクしていました。そうしていると、彼は突然私に対してこう言ってきたのです。
 「先生、なかなか男前ですね。」
 私はこの言葉に拍子抜けしてしまい、「いやいや、そんなことないですよ。」と軽い感じで応えました。すると、彼は続けて「先生、なかなか渋いヒゲですね。」と言ってきたのです。どうやら彼は私のヒゲ面に親近感を覚えたようでした。それに気づいた私は、これはなんとかなるかもしれないと思い、しばらくは彼と雑談することにしました。彼は関西出身で関西弁を話していたのですが、私も約10年間の京都生活で関西弁には自信がありました。そこで、私も関西弁で会話をすることにしたのです。すると、彼はさらに私に親近感を覚えたのか、私に対して留置場での辛さや自分の生い立ちについても話しはじめたのです。私は完全に彼とうち解けると、その後はなんの滞りもなく、実にスムースに接見は終了したのでした。
5   接見を終え、私はなんだか妙な充実感を覚えつつ帰途につきました。私のヒゲもたまには役に立つこともあるんだと思い、少し嬉しくなりました。そして、「次に休日の当番弁護が回ってきたら、東広島の平和も忘れずに祈っておかなければ」などと思いをめぐらしながら、JRで広島に戻ったのでした。
 
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第10回刑事弁護物語
 以前から、当番弁護士の担当はしていたのですが、すべてサブ担当であり、今まで実際に出動することがないという幸運に恵まれたために、今まで当番弁護士物語の執筆依頼をうまくかわしておりましたが、とうとうメイン担当になった際に、出動することになり、当番弁護士物語を書くことになってしまいました。
 当番弁護士として出動した日は、3件の当番弁護士要請があり、1件目は西条警察署、2件目、3件目は県警本部の留置センターに出動しました。
 その中のひとつに少年事件があったのですが、事件の概要は、少年が、夜中に学校の校庭に侵入し、焚き火をしたことから建造物侵入で現行犯逮捕されたというものでした。
 確かに、夜中に勝手に校庭に入ったのは悪いことですが、今のご時勢、このような軽微な非行事実によっていきなり逮捕、勾留するのかと、まず驚いたものです。
 また、少年の話を詳しく聞いていくと、少年の他にも数名の友人がいたそうですが、友人が逃げているときに、少年は、律儀に焚き火を消して逃げようとしたために、逃げ遅れ、警察官に捕まったことが分かりました。根は悪い子ではなさそうなので、被疑者弁護をそのまま受任することにしました。
 その後、少年は、すぐに家庭裁判所に送致されると聞いていたので、急いで観護措置決定に対する意見書を書き上げ、送致日に家庭裁判所に意見書を提出したところ、観護措置は取られず、少年を釈放してくれることになりました。
 まあ、私の意見書がなくても、もともと軽微な事案なので観護措置決定が取られることはなかったと思われますが、とにかく釈放されると聞いて安心しました。
 しかし、少年が釈放されることになったものの、家庭裁判所から「少年の親と連絡が取れない。身柄引受人がいないと少年を釈放することができない。と連絡が入ったため、私が身柄引受人となって、少年を家まで送り届けることになりました。
 勾留中、少年は、私に対し、もし鑑別所に行かずに済んだ場合には、学校に謝罪に行くことを約束してくれていたので、釈放後、謝罪のために学校へ訪問することになりましたが、親は仕事が忙しいということで、しかたなく、釈放された日の翌日に少年と朝9時に学校の前で待ち合わせ、校長先生に謝罪することになりました。
 当日は、少年が待ち合わせ時間に遅刻してしまったというハプニングもありましたが、無事、校長先生に謝罪することができました。
 その後、審判まで、親と連絡が取れないなどの不都合もありましたが、少年の非行事実が軽微であること、少年に非行の傾向がないこと、将来進学を考えていることが考慮され、審判の結果は不処分となりました。
 審判が終わった後、少年とは連絡を取っていませんが、この事件をきっかけに、少年が日常生活を改善し、真面目に生活していることを祈るばかりです。
 
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第9回刑事弁護物語
1   ゴールデンウィークの当番は6件(大竹・可部入り)です。
 何年か前のゴールデンウィーク中の1日が当番弁護士の日でした。
 「去年もゴールデンウィーク中に当番弁護士があって、三次に行ったなあ。今年も遠くへ行くかもしれない。」などと思いながら、当番弁護士の留守番電話を聞くと、録音された出動要請の件数が多すぎて、一度では聴き取りができません。前日の当番弁護士は10件ほど出動したとの報告も聞き、件数の多さに驚きました。
 3回ほど繰り返して留守電を聞くと、7件の出動要請があるようです。各警察署に確認すると、うち1件は他の弁護士が出動済みで、結局、出動を要するのは6件でした。ゴールデンウィーク中は、当番弁護士が一日一人しかいませんので、当番の私が一人で6件回ります。
 大竹警察署、可部警察署からの出動要請も入っていました。
 ゴールデンウィーク中で事務所は休みですから、事務所には私しかいません。件数が多いことや大竹や可部まで行くことに対する重責を共有してくれる人もいません。一人で当番弁護士の重責を感じました。
2   1日では終わりません
(1)  近くから回ります
 6件全件を1日回るのは困難だと考えました。とりあえず、近くから回り、遠いところは後回しにして、余裕があれば、大竹か、可部に行くつもりでした。
 出動したのは当日の午後5時過ぎでした。東警察署、県警本部、中央警察署、南警察署と4件回って、夜10時くらいになりました。大竹と可部は翌日に回します。
 4件を一日で回ると疲れが翌日残りました。
(2)  可部・大竹をハシゴします
 翌日、まず可部から回りました。可部線で可部警察署に向かいます。可部署での接見を終え、可部線に乗り、広島駅から山陽本線で大竹警察署に向かいます。
 当番弁護士のとき以外は行ったことのない大竹です。
 大竹から帰るとかなり疲れていました。疲れていますが、報告書などを書かねばなりません。6件分を書くのは結構時間がかかります。
3   強盗致傷を受任しました
 このときの当番では、強盗致傷の件を受任しました。万引きをして警備員に呼び止められ、逃げようとして、警備員に傷害を負わせたという事案です。
 法律扶助制度を使って受任し、本人には被害者宛ての謝罪文を書くよう勧め、それを被害者に送付し、検事には強盗致傷ではなく、窃盗と、傷害ないし暴行に当たる旨の上申書を提出しました。
 起訴猶予にはなりませんでしたが、起訴時の罪名は窃盗と傷害になりました。
 被害者との示談については、起訴前にはできなかったものの、起訴後にすることができました。
 結果、執行猶予がつきました。
以上
(警察署の名称は当時のもの)
 
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第8回刑事弁護物語
1   初めての当番弁護は休日だったように記憶しています。
 せっかくの休日でも休んでいる気持ちにはなれず、落ち着かない気持ちでいたところ昼くらいに携帯電話に連絡があり、西警察署に行って下さいとのこと。
2   私は極度の方向音痴なので、さっそく愛車のスポーツカー(誰もそうとは認めてくれませんが)のカーナビに西署をインプットし、ただちに接見に出かけました。
 最初の事件は放火未遂事件でした。家族からの依頼による出動要請があったものであり、接見後家族に連絡したところ、弁護してほしいとのことでめでたくいきなり受任となりました。
3   その後はアルパークでお茶を飲みながら、少々憂鬱になりつつ受任した事件の弁護方針などを考えたりしていたところ、夕方になりました。そのため私は1件で終わりと勝手に考えて、実家が近いことから実家にでも寄って帰ろうかと思い、実家に電話したところ、ぎりぎりで当番弁護の依頼が来てしまいました。
4   ただ、場所は同じく西警察署ということで、気を取り直し、ただちにまた接見に向かいました。
 今度の事件は器物損壊でした。あまり詳しくは書けませんが、つきあっていた女性の家に酔っぱらって行ったところ、家に入れてくれなかったので玄関のガラスを蹴破ったというものでした。話を聞いてみたところもう一つ反省している気持ちが感じられないので、起訴された方が身のためではないかなとも思いましたが、示談することにより被害者に告訴を取り消してもらうことなど被疑者弁護についてマニュアルに従って一通りの説明をしました。そして、法律扶助について説明したところ、ぜひお願いしますと依頼されてしまいました。
 というわけで、この器物損壊事件も結局受任することになり、2件の受任となりました。
 次の日からは事務所の他の事件の処理をしつつ、被疑者弁護も2件平行してしなければならず、相当忙しくなりました。
 器物損壊事件の被害者に連絡を取ってみると、これまでもいろいろと被疑者とはトラブルになっていたようでした。それで、もう関わり合いになりたくないので、二度と会わないこと、きちんと弁償をすること、を条件に告訴の取消をしても良いとの返事をもらいました。
 示談の可能性があるということで、その後は示談の内容を詰める作業を行い、被疑者には、会いたくないと言っている被害者の気持ちを説明して説得するなどして、勾留期限ぎりぎりでなんとか示談書を作り、両者に署名押印してもらいました。
 そして、被害者も納得して告訴を取り消し、被疑者も釈放されて被疑者弁護は終了しました。
 最初は気乗りがしませんでしたが、この示談がきっかけでトラブルがなくなるのであれば、休日をつぶした甲斐もあります。その後は何も連絡がないので、うまくいっていると思うことにしています。
5   当番弁護に引き続き受任する場合は、被疑者は身柄を拘束されているため、勾留期限までに早期に処理する必要があり、頻繁に接見をするなどして動き回らなくてはいけませんでしたが、非常に車が役に立ちました。
 しかし、愛車のスポーツカー(誰もそうとは認めてくれませんが)のカーナビに自分で登録したものといえば、気が付けば警察とファミレスばかりという有様で、自分でもいかがなものかと最近思います。
 これからは仕事を頑張りながらも私生活も充実させねばならないなと感じつつ、とりとめのない話を終わりにしたいと思います。
 
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第7回刑事弁護物語
 少し前の話になりますが、今回は当職の初当番弁護出動体験について書いてみたいと思います。
 昨年の春ころ、初めての当番弁護の担当が回ってくることになりました。その日はなぜだか朝から肌寒く、時折思い出したかのように小雨が降る、思わず外出を控えたくなるような天候でした。
 朝から一仕事こなし、空き時間に事務所で起案をしていたところ、昼前に2枚のファックスが飛び込んできました。当番弁護の出動要請で、場所は、東署と南署でした。
 よりによって南署か、遠いなぁなどと思いつつ、念のため(移送になってないかな)と淡い期待を抱いて南署にあらかじめ確認の電話をしてみると、期待どおり、署員の方から被疑者は既に中央署に移送になったと教えていただきました。
 胸をなでおろしつつ、まずは午後の空き時間に東署に直行しました。
 被疑者は20代前半の男性で、大麻取締法違反の被疑事実で逮捕されたとのことでした。
 起訴事実を認めており、国選弁護人で十分とのことであったため、せっかく来たのだからと世間話をしているうち、被疑者が当職のよく行くブティックでアルバイトしていたことがわかり、最近の流行や洋服の話などをじっくり話して別れました。
 次は中央署に行き、被疑者と接見して3時半ころ事務所に帰ったところ、またしてもファックスが1枚届いていました。
 そういえば3件までだったな、今度は県警本部かな、それともまた中央署かな、などとヌルいことを考えながらファックスに目を落とすと、なんと拘束場所欄に大きく「竹原」の文字が躍っていました。
 一瞬「見なかったことにしよう」などと不埒な考えが浮かび、5分後にやっぱりそれではいけないと考え直し、何とか行く方法がないかと事務員に聞いたところ、「かぐや姫号」という大変便利な乗り物があることを聞き及び、ほとんど手ぶらの状態でバスセンターにダッシュしました。
 運よく竹原行きのバスに乗ったところまでは覚えていますが、道中の行路はもう記憶にほとんどなく、気がつくとバスに揺られて薄暗い竹原駅に着いていました。
 被疑者の男性は覚せい剤の再犯で、事案やこれまでの経歴からしてある程度長期の実刑は避け難く、量刑相場が知りたくて弁護士を呼んでみた、とのことでした。
 「呼んでみた」で来られる距離じゃないよ、などと思いながら、とりあえず身の上話を聞きつつ予想される量刑相場を教えていると、被疑者の男性の口から、「先生、広島からバスできたんじゃろ。次のバスが最終やから、もう行きんさい」という言葉が出てきました。
 予想もしない彼の言葉に驚きつつ、帰宅のことを考えて暗澹たる気分になっていた当職は、心の中で彼の心遣いに感謝しつつも、一応弁護士らしく振舞っておかねばなるまいと考え「今は私の心配なんかしてる場合じゃないでしょう。あなたの出所してからの人生を考えないと」と告げたところ、被疑者の目が潤み始めました。
 帰りは竹原署の警察官の方がバス停まで案内してくださり、当職は無事9時までに家に帰ることができました。
 今回のような遠隔地への出動や、祝祭日の当番弁護は当たると非常に憂鬱な気分になりますが、留置係担当の警察官の方が暇だったり休日出勤に同じく憂鬱な気分になっていたりすることが多いためか、雑談するうちに話が弾んだり本音が聞けることも多く、それなりに心のオアシスもあったりします。
 当職はそれ以降何度か当番弁護の機会はありましたが、幸いにも遠隔地からの要請はありません。
 しかし、3件目の出動時のブルーな気持ちを思い起こすと、遠隔地からの要請に備えて、本気で動く車を購入すべきではないかと考えている今日この頃です。
 
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第6回刑事弁護物語
1   留守電
 本年末の広島は寒波に見舞われた。僕は12月31日が当番弁護の担当だったため、大晦日の午前10時頃に事務所へ行き弁護士会の留守番電話を確認した。すると3件のメッセージが入っていた。1件目、三次警察署。2件目、少年鑑別所。3件目、県警本部留置施設。「えっ!?三次?ついてない…。しかも、少年事件もあるのか。」しかし、三次での接見は何かの間違いかもしれないと思い、念のため刑弁委員会・当番国選部会長のA先生に電話をしてみた。N弁護士「先生、三次警察から電話があったのですが、三次にも行く必要があるのですか?」A先生「行って下さい。アッハッハ!」N弁護士「…。分かりました。」天気予報によると三次は大雪であった…。
2   2人の少年
 僕はなんとか気を取り直し、まず、少年鑑別所に行くことにした。少年(女性)は、オナニーをしている女性の映像に大嫌いな同級生の名前を記載し、それを携帯の裏動画サイトに投稿したため名誉毀損罪で逮捕されたという。今年の1月15日に審判を受けることになっており、少年院に行くことになるかを聞きたかったそうだ。少年との面会を終え少年鑑別所を出ると、偶然、正門の前にタクシーが停まっていた。僕はラッキーだと思いつつタクシーに駆け寄り乗車した。運転手「鑑別所に行っていたのですか?私の息子も年末からここに入っていて、今この中でどうしているだろうかと考えながら停車させていたのです。1月4日まで面会はできないそうです。」運転手は、少年鑑別所の中でテレビは見られるのか、頭は丸坊主にしなければならないのか等、息子が鑑別所でどのような生活をしているのかを心配していた。僕は、弁護士であることを明かし、少年鑑別所と刑務所の違い等を答えつつ八丁堀で降車した。運転手「いろいろ教えてもらってありがとうございます。よいお年をお迎え下さい。私はいい正月とはならないと思いますが…。」そう寂しそうに話す運転手の横顔を見ながら事務所へ向かった。
3   極寒の地、三次
 事務所に帰り少年の母親に電話をした後、すぐに広島駅に向かい14時00分発の三次ライナーに乗った。途中、志和地駅でアナウンスがあった。車掌「折からの雪による倒木のため、発車が遅れます。」N弁護士「…。」車内では帰省客が楽しそうに歓談したり赤ん坊が泣いたりしている。発車を待つ間、岡野雅行氏(刺しても無痛な注射針を開発した人)の自伝を読み終えてしまいすることがなくなった。仕方なく昼寝をすることにした。三次に到着した。やはり雪国だった…。駅前では雪が約30センチ積もっていた。僕は携帯で雪国の写真を撮影した後、三次警察署に向かった。被疑者の女性はパチンコ店の換金所に勤めている人で、1000万円以上横領したという事件であった。三次での接見を終え、帰りはバスで広島に戻ることにした。バスを待つ間に17時がきたため弁護士会の留守電を確認した。新しいメッセージが入っていた。4件目、東警察署。5件目、中央警察署。N弁護士「…。広島に帰ってから3件も接見に行かなければいけない…。しかし、竹原とか大竹は入っていないのでラッキーだ。前向きに考えよう…。」バスは積雪のため到着が遅れ、広島に辿り着いたときには19時を回っていった。
4   仕事納め
 その後、事務所へ戻り、まず東警察署へ向かった。いつもは自転車で行くのだが、若干疲れていたためタクシーで向かった。被疑者は男性で、知り合いに刃物を翳(かざ)して脅したという暴力行為等に関する法律違反で逮捕されたという事件であった。次は、県警本部留置施設。デパートで靴等を万引きしたという事件であった。最後は、中央警察署。被留置者の就寝時間である21時は過ぎていたが、正月に仕事を持ち越したくなかったので行くことにした。被疑者は男性で、麻雀店に侵入し建造物侵入罪で逮捕されたという事件であった。最後の接見が終わり、事務所へ帰ると22時過ぎであった。最初の留守電を聞いてから丁度半日が経過していたものの、なんとか除夜の鐘が鳴るまでに5件の当番弁護を終えることができた。事務所を出たあと帰宅し、軽く酒を飲みながら美味い年越しそばを食べ2007年の1年を終えた。慌ただしい大晦日であったが、その天気とは裏腹になぜか気分は晴れ晴れとしていた。
 
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第5回刑事弁護物語
1   晴れやかな初夏の朝、清々しい気持ちで事務所に出勤し、手帳を開くと「当番弁護・主」との記入がある。「そうか…今日は当番弁護だった。あまり多く来ると大変だな…」などと思っていると、事務員から声がかかった。「先生、当番弁護です。既に3件あるそうです。1件は外国人です。」「いきなり3件。しかも外国人の事件が入っているとは…しかし、場所はどこだろう。」と思い、FAXを見ると、中央署、安佐南署、南署の3件でそれ程遠方でもないので、少しほっとする。
2   まず、外国人事件の通訳人の確保から始める。この被疑者の使用言語は、ベトナム語であった。ベトナム語の通訳人のリストを見ると2人しかいない。しかも、一人の通訳人は、「平日は17時から23時まで連絡可能」とある。これでは、早急に接見は不可能だ。もう一人の「いつでも連絡可能」という通訳人に連絡すると、「私、検察でもこの方の通訳人をやっているのですが…弁護人の通訳人もやって良いのでしょうか。」との返答。「この通訳人に依頼できないとなると、通訳人に連絡できるのは、今日の午後5時以降となるのか…。」たまらず、弁護士会事務局に連絡をとり、刑事弁護センター委員会の回答を待つ。回答は、「少数言語なのでやむを得ないでしょう。」とのこと。再び先程の通訳人に連絡し、夕方安佐南署で待ち合わせることにした。
3   その間、中央署の覚せい剤の自己使用の被疑者に司法修習生2名を伴い、接見する。覚せい剤の自己使用で初犯の事件であった。おそらく執行猶予になると思うが、弁護士をつけるか尋ねると、「それならいいです。今後の手続を知りたかっただけなので。」とのこと。司法修習生に質問してみたいことはないかと尋ねると、特にないですとの返答。「まあ、覚せい剤の自己使用の初犯で自白しているなら、質問もないか…。」
4   1件目の接見が終わり、ベトナム人の被疑者の接見に安佐南署へ向かう。通訳人を介すから、時間もかかり、被疑者と意思疎通が十分に図れるのか心配であったが、幸いこのベトナム人の男性は、幼少のころから日本に住んでおり、全く日本語には問題が無く、通訳を介さなくとも十分に意思疎通を図ることができた。従前の事件で在留資格を失い、在留資格の申請をしても得られず、合法的に働くことができず、妻子4人との生活を生活保護で賄っている状況での万引き事件。何故万引きしたのか尋ねると、祖国のベトナムにガンを患った母がおり、その治療費を捻出するために万引きを繰り返していたとのこと。「被害弁償もして欲しいので、お願いします。」といわれ、受任することに。2件目の接見終了。(不幸なことに、後日、彼の母が亡くなったので、そのことを伝えるとアクリル板の向こうでボロボロ涙を流して泣いた。私は、彼が気の毒でならず、まともに目を合わせることが出来なかった。)
 ベトナム人との接見を終え、その足で安佐南署に留置されている別件の被疑者に接見する。本日、3件目の接見。
5   その後、3件目の当番弁護である南署に向かう。他県から広島に遊びに来ていた、妻子もおり、真面目に仕事をしている男性。もちろん今までに警察の世話になったことはない。DVD一枚を万引きして逮捕。そんな事案でなにゆえ逮捕されたのかと思い、いろいろ聞くと、一旦店員に捕まえられたあと、警察を呼ぶと言われて怖くなって逃げ出そうとしたらしい。
 これからの手続について説明すると、男性は、「10日もここにいられません。とにかく早く出してください。」とのこと。この男性は、犯行を認めていたものの、最初は盗むつもりはなかったという。その弁解は、やや不自然だったので更に詳しく聞くと、ありえなくもないと思われる状況であり、男性の態度から嘘をついているとも思えなかった。ところが、この男性は、資力があり法律扶助(弁護士費用の立て替え)の制度を利用することができず、弁護士の費用を自分で賄わなければならなかった。そこで、「貴方の状況からして、勾留する必要性がある事案ではないので、恐らく明日釈放されると思います。明日の弁解録取では、検事に正直に話せば分かってもらえると思います。嘘をついて認めてはいけませんよ。もしも勾留されたら、直ぐに連絡ください。」と言ったら、男性は、「わかりました。」と言って納得し、安心したような表情をしていた。本日4件目の接見が終了。
 3件目の当番弁護を終えた時点で午後7時を過ぎていた。いっそのこと、今日は接見デーにしようと思い、更に県警本部に向かう。別で受任している国選弁護事件の被告人に接見。本日5件目の接見である。何だか妙な充実感を覚える。
6   翌日、南署に確認すると、3件目の当番弁護で接見した男性は、やはり釈放されたとの回答。ほっと一安心。
 その日の午後、突如、釈放された男性が手みやげを持って事務所にやって来られた。
 「先生のおかげで出ることができました。ありがとうございました。これは、ほんの気持ちです。」
 「いえいえ。私は、何もしていませんから(実際に何もしていない。)。ところで、検事さんには、分かってもらえましたか。」
 「いやー、結局、認めないと勾留するというので、最初から盗むつもりだといいました。」
 「そうですか…」
 「先生、本当にありがとうございました。」
 私は、男性の清々しい挨拶とは裏腹に、やや苦々しい思いであったが、男性が喜んでいるので良しとしようと自分に言い聞かせ、男性を玄関から見送った。
 
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第4回刑事弁護物語
1   幸運なことに(?)、お盆前の土曜日が当番弁護担当日となっていました。ちなみに、同日のもう一人の当番弁護担当は同期の弁護士であり、仲良く幸運を分かち合う(?)ことになりました。
2   当日は、1日中仕事をしようと心に決めて、午前中から事務所に出て当番弁護出動のFAXを待つことにしました。
 以前に、盆や正月といった連休中は、普通は警察も通常逮捕等は行なわず、現行犯逮捕だけだろうというもっともらしい噂を聞いていたので、は前日から広島の地が平和でありますように、と心から祈っていました。
 この祈りが伝わったのか、午前中はFAXは動きません。
 なるほど、連休中は警察もあまり動かないという噂は本当だったか、などと感心していたところ、FAXが作動し始めました。いよいよ来たか、と思っていたところ、全く別事件に関係するFAXが届きました。何と紛らわしいと思いましたが、FAXが来るということは送り主も仕事をしているわけで、暦上は休みの日だというのに我々以外にも仕事をしている人がいるのだなぁと感心してしたものです。
 そうこうしているうちに16時をすぎたころ、再びFAXが作動。今度は紛れもなく当番弁護士の出動依頼であり、勾留場所は西の方の警察署でした(結局、当日はこの1件だけでした。)。
3   早速西の方の警察署に向かい、記載済みの被留置者接見簿(現在は「被留置者面会簿」)と被接見者金品出納簿(現在は「被留置者金品出納簿」)を留置の担当者に差し出し、さらに取調状況等を記載するために被疑者ノート等を留置の担当者に渡し、スムーズに接見を行なうことができました。
 さて、被疑者と接見してみると、噂どおり通常逮捕ではなく、現行犯逮捕(痴漢行為)でした。痴漢行為なので、場合によっては冤罪もあり得るのではないかと慎重に話を聞いたところ、被害者ではなく警察官による現行犯逮捕であり、被疑者自身も当該行為の存在は認めているというものです。被疑者としては、今後の手続や処分の予想について聞きたかったようですので、これを説明し、警察署を後にしました。
4   今回はたまたま当番弁護士の出動依頼が1件だけでしたが、連休中というのは一部の人は仕事をしているものの多くの人は当然休んでいるわけです。被疑者弁護というものが、弁護士一人で何かすればそれで済むものであれば特に差し支えはないでしょうが、実際はいろいろなところに連絡を取るなどして活動をしなければなりません。特に重大事件であった場合はなおさら平日に比べ障害が多くなると思われます。
 今回は、身をもって体験することとはなりませんでしたが、改めて世の中の活動が休止している連休中に行なう弁護活動の困難さを実感をもって想像することとなった当番弁護担当日でした。
 
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第3回刑事弁護物語
1 少年の当番弁護
 私は当番弁護士として3件出動したことがあったのですが、被疑者3名はいずれも少年でした(偶然だったのかもしれませんが)。それで、事件とは全く関係ない席で、知り合いの裁判官に「当番弁護士で3件出動したら、すべて少年の被疑者だった」旨話したところ、その裁判官曰く「被疑者が少年の場合は、弱い立場にあるから、特に当番弁護士を呼ぶように言っている」とのことでした。このように裁判所の方でも、少年に対する配慮をしているというのは良い傾向であると思います。
 少年の場合、事件を受任して付添人になるというケースは少なく、弁護士なしで審判を受けることが多いのが実状であることからすると、当番弁護出動時に我々弁護士が十分な説明をしないと、少年が何もわからないままに審判を終えてしまうことになります(成年の場合は、公判段階で国選弁護人がつくので、国選弁護人が別途説明することがあり得るのと異なるわけです)。とすれば、特に少年の当番弁護の場合は、当番弁護で出動した時に弁護士が十二分な説明をすることが要求されると思います。
2 事件の受任
 さて、当番弁護で出動した事件のうち、私が受任した事件がありましたので、ここからはこの事件について述べていきます。
 この事件は、少年の母親から要請を受けて、当番弁護士として出動したもので、私が出動した時には、少年は勾留の満期直前という状態でした。1年以上前の窃盗事件で逮捕・勾留されており、具体的には、他2名の少年と一緒に、会社の門を壊して侵入し、会社に置いてあった自動車を盗んだ(その後、自動車は会社に戻ったが、門の破損、車の破損などがあった)というものであり、少年は見張り役として関与していました。少年には何回か前歴があり、本件窃盗事件は保護観察処分を下されて約2週間後になされたものでした。少年は逮捕当初は否認していましたが、その後は本件事件につき自白していました。
 私は4・50分くらい接見したのですが、少年は私と正視しようとせずにふてくされていて、「弁護士を頼もうと頼むまいとどっちでもいい」と言い、投げやりな感じでした。ただ、少年事件なので親の選任意思を確認すべく連絡をとったところ、「少年は最近1年以上は真面目に過ごしてきており、保護司のところにも毎回きちんと行っているし、夜遊びもせず、仕事にもきちんと行っている。1年以上前の事件で少年院に行くことになったら少年に水を差すことになってしまうので何とかしてほしい。先生にお願いしたい。」と言われましたので、事件を受任しました。
3 付添人活動
 その後、少年は少年鑑別所し収容され、私は事実関係を見ておいた上で接見に行こうと思って事件記録を閲覧しました。その事件記録を読むと、遊びに行くために車を盗んだこと、指紋がつかないように手袋をして車を運転したこと、車内の道具を途中で投げ捨てたこと、捕まった場合の口裏あわせをしようと決めていたこと、なども明らかになってきました。私は「これは非行事実自体はかなり悪質だな」と感じざるを得ませんでした。
 私としては、一方で最近1年以上にわたって真面目に生活し続けていること(要保護性がないこと)は確かであるものの、他方で非行事実がかなり悪質であることは否めないことから、前者と後者のいずれを重視するかで、保護観察か少年院送致かが変わってくる微妙な事案であるとの印象を持ちました。そのため、少年に要保護性がないことを示す資料、証人の準備をすすめる一方で、非行事実との関係で被害者との示談書・嘆願書を揃えていき、保護観察処分を目指すという方針で臨みました。
 それからというもの審判までの約3週間は、本件事件の付添人活動が多くの時間を占めるようになりました。少年の両親との打ち合わせをし、少年の勤務先の社長との打ち合わせもするとともに、私と少年の親とで被害者のところを訪れて謝罪しました。被害者の方(会社の社長)は、少年の更正に期待し損害賠償請求しないと言ってくださり、結局被害弁償なしでの示談となり、嘆願書も書いていただきました(ただ、これが少年にとって本当に良かったのかどうかは難しいところです。いくらかを少年が支払うという形の方が、少年の被害者に対する謝罪の意識をはっきりと芽生えさせることが出来たのかもしれません。)。
 そして、少年との接見にも何度か行きましたが、少年も鑑別所内で考える時間を多くもったことにより、当初に比べて見違えるほどに変化していきました。本件事件に対して反省し、「出たらまず最初に被害者に謝罪に行きたい」と言うようになったとともに、何が原因だったのか、これからどうしたらいいのか、自分なりの言葉で話しをするようになりました。何よりも、少年が私を正視して話をするようになったのが、一番大きな変化だったと思います。
 その後、家裁調査官との打ち合わせを行って、ここまでの環境整備等につき報告するとともに、付添人意見書を提出して、審判に臨むこととなりました。
 なお、付添人活動の途中で、改正少年法で新設されたばかりの観護措置決定に対する「意義の申立て」(少年法17条の2)も行いました。実は、当初この手続きのことを知らず「観護措置取消申立」をしようとしていたのですが、提出直前で異議の申立てに気づき、どうせやるなら新設の不服申立手続きでやろうと思い、異議の申立てをしました。私の場合は結局、提出したその日に棄却決定が出ましたが、今後この異議の申立て制度がどのように運用されていくのかは興味深いところです。
4 審判
 結局、保護観察処分後間もない犯行ではあるものの、最近1年以上にわたって真面目に生活してきたことが評価され、保護観察処分となりました。私としては、自分の方針通りの結果となり、無事に事件を終えることが出来てホッとしていますが、少年がその後きちんと今まで通りの真面目な生活を続けているのか、今でも気になっています。
 
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第2回刑事弁護物語
起訴前弁護物語(その2)
 「自転車を盗まれてとても悔しい。犯人には前科もあるそうじゃないか。悪いことをした人はそれに見合った罰を受けるべきだ。犯人が刑務所に行こうが行くまいが関係ない。」彼の語気は荒かった。言っていることは正論だ。どうせ執行猶予になる確率なんていくらもないだろうから、彼の嘆願書なんてなくても同じか・・・。一瞬弱気になる。しかし、すぐに思い返す。「諦めたらその時点で終わりだ。例え望みは薄くても、出来る限りのことをしておかないと、後で後悔することになりかねないし、例え起訴されても、周りの人間が精一杯やったということが、A君の救いになるはずだ。」そう、やれるだけのことをやるしかないのだ。両親には土曜も日曜も被害者の家に行き、謝罪するように指示し、同時にA君の手紙を手渡し、被害者に読んでもらうようにアドバイスをする。A君の苦悩を知ってもらえれば、年齢の近い高校生なら、何かを感じ取ってくれるのではないか・・・。祈るような気持ちで手紙をA君の母親に託した。
 ○月○日土曜日、起訴検事に提出する弁護人の意見書を書き始める。思いつくことを片っ端から書き付けるがうまくまとまらない。夕方A君の家に電話をして様子を聞く。両親が頼んでも嘆願書は書いてくれなかったそうだ。弁護士のことも、何やら悪人を救う悪い奴と思っているらしい。被害者が駄目なら、明日被害者の母親に嘆願書を書いてもらえないか、聞いてみるように指示する。
 ○月○日日曜日、保護司の話を聞く。今後もA君のために精一杯の協力をして下さるということで、検事に提出するため聞き取りの内容を報告書にまとめる。正午、A君の母親から両親の反省文を受け取る。両親の、何とかA君を救いたい、立ち直らせたいという願いが溢れている。文章は拙いが、却ってその方が気持ちが素直に伝わってくる。夜、被害者のところに行った母親から報告を受ける。被害者からも被害者の母親からも、嘆願書に署名はもらえない。A君の手紙も読んでもらえないという。明日、処分が決まるのだから、もう嘆願書は出せない。母親はもう一度明日朝一番に訪ねてみる、と言ったが、恐らく事態は変わらないであろう。こちらの方の被害者の嘆願書は無しで行くしかない。その晩、3時までかけて意見書を完成させた。A君を救いたいというみんなの気持ちが検事に届くように祈りながら。
 ○月○日月曜日、A君にとって運命の日である。午前9時過ぎに検事のところに行く。24ぺージにわたる意見書と、両親の手紙や報告書など10を超える添付資料を渡す。受け取った検事が口を開く。「もう一方の被害者の嘆願書は取れないんですか。」「えっ、それはどういうことですか。」「ええ、できるだけ弁護士さんの意向に沿う形で処理したいと思っているのです。でも嘆願書が揃わなければ無理ですね。」何と、あれ程頑として動かなかった検事の態度がここまで軟化して来るとは!「もう一方の被害者の嘆願書は無理ですが、それ以外の事情を酌んで何とかしてもらえないでしょうか。」「いや、A君の場合は、被害者全員の嘆願書がなければ絶対に起訴猶予は無理です。」「そっちの方の自転車は、壊れて乗れない状態だったんですよ。」しばらく問答を繰り返したが無駄だった。とにかく嘆願書を取ってくるしかないというのだ。この点については全く引いてくれない。「とにかく、起訴猶予をお願いします。」と言い残して検事室を出る。しかし、もう一方の被害者から嘆願書をもらうのは無理だ。なんとか勾留延長を認めてもらって10日間の更なる猶予をもらえたとしても、もう一方の被害者の態度も変わるまい。「これで万事休すか。せっかくもう一歩のところまで行ったのに。」うなだれながら事務所へと戻った。とうとう彼を救えなかった。けれども、やることはやったじゃないか。それでも駄目なら仕方ない。世の中、どんなに頑張ってもどうにもならないことは一杯あるさ。ドンマイ、ドンマイ。私の中では、自分を弁護する言葉が無数に舞っていた。
 「ガチャ」という音を立てて、その時事務所のドアが開いた。A君の母親がやって来たのだ。朝一番で被害者の家に寄ってきた母親の右手に、茶色の封筒が握り締められていた。もしや?「先生、嘆願書を書いてもらって来ました。」高ぶる気持ちを抑えながら彼女は一言った。封筒の中から出てきたのは、紛れもなく、被害者の直筆で書かれた嘆願書だった。信じられなかった。ひたすら信じられなかった。電話口であれ程A君を罵り、A君の親が3日続けて足を運んでも、頑としてA君を許そうとはしなかった彼が、何故急に・・・。「お母さんの話では、渡しておいた息子の手紙を読んでくれて、その時から態度がガラッと変わったらしいのです。読み終えるなり自分の部屋に閉じこもって、机に向かって1時間かけて嘆願書を書いてくれたのだそうです。辞書を引きながら文章を考えて、鉛筆で下書きをして最後に清書までして・・・。」嘆願書には、確かに消え残った鉛筆の跡が何箇所もある。そして、まだ幼さの残る文字でこう記されていた。「・・・(途中略)書面による同人の痛切な後悔の念や、両親に対する懺の念、改心し社会へ貢献するという固い意志を信じ、また同人が執行猶予中であったことを承知した上で、彼の1日も早い社会復帰を願い、ここに彼の罪の軽減を願います。」本当に言葉がなかった。彼はA君を許してくれたのだ。A君の手紙と、両親の息子を救いたいという強い気持ちが彼の心を動かし、こんなにも心のこもった、人の心を打つ文章を彼に書かせたのだ。どんなに優秀な弁護士が何人も集まって何日も考えたとして、とてもこんなに気持ちのこもった文章など書けない。奇跡が起きた。そう感じた。「いますぐ検事に見せに行きましょう。」そう言って私は事務所を飛び出した。嘆願書のコピーを取るのも忘れて・・・。
 ○月○日火曜日、その日の午後、A君は拘置所を釈放になり、十数日振りに両親の元へと帰って行った。両親からは、何度も何度も感謝の言葉を頂いた。シャイなA君はただ一言、「ありがとうございました。」と言っただけだったが、そう言った彼の目は、拘置所で見るそれとは比べ物にならないほど活き活きしていた。
 A君の人生が、この先どうなるかは分からない。ここからは、もう私にはどうしようもない世界だ。彼が自分自身の力で切り開いていくしかない。決して平坦な道ではないが、きっと彼なら立ち直ってくれると私は信じている。一人一人が皆ヒーローだった。心から反省をして最高の手紙を書いたA君も、何度も被害者の所に足を運んで嘆願書をもらってきたA君の両親も、A君を許すというとても優しい気持ちを持ってくれた被害者の高校生も、そして起訴猶予を決断し決裁官を説得してくれた検事さんも。弁護士という仕事は本当に素晴らしい。心からそう思った。こんなに素敵な人間のドラマを、こんなに間近に見ることができるのだから。(終わり)
 
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第1回刑事弁護物語
起訴前弁護物語(その1)
 平成○年○月○日火曜日の朝、その事件はやって来た。朝、私が事務所に到着すると、見覚えのあるご婦人の顔がある。その人は、私が国選弁護を引受け、つい半年ほど前に保護観察付執行猶予判決を受けた青年(以下A君という)の母親である。
 その国選事件の内容は、A君がとある事務所に入って銀行のカード等を窃取して、そのカードを使って銀行から預金を引き下ろそうとしたところ、行員に見破られて、逮捕されたというものであった。裕福な家庭に育ち、金銭的にはあまり不自由を感じたことがないと思われるおボッチャンの、あまりに安易な犯行という感じで、執行猶予にはなったものの保護観察処分が付いたのである。再度盗みを働いて起訴されれば実刑以外はあり得ないが、まさかそこまで馬鹿ではあるまい、そう思って私はまったく安心しきっていた。「息子が自転車を5台盗んで警察に逮捕されました。」確かに母親はそう言った。まさか!一瞬信じられずに立ち尽くす。とにかく中に入ってもらい事情を聞く。
 前回の判決の後しばらくして父親と衝突し、ひとり暮らしを始めて親の監視の目が行き届かない状態となり、いつの間にか部屋の中に他人のマウンテンバイクを5台隠し持つようになっていたという。何とかして欲しいと母親に懇願され、「どうしようもない。」と内心思いながら、留置所へと赴く。
 接見室にA君が入ってくる。半年ぶりの再会である。髪が黄色く染まっている点が決定的に違う。しかし、話し始めた彼の口調は、半年前のシャイでどこか憎めないA君の口調そのままであった。状況としては、5台のうち3台については被害者が見つかっておらず、見つかる見込みもないという。残りの2台のうち1台は、事故って走れなくなって放置されていたらしい。残りの1台についてはカギを壊して持って帰っており、言い訳はできないが、被害弁償して嘆願書がとれれば希望はあるかも・・・。そんなことを思いながら話を進めていった。なぜこんなことになったのか、その理由を聞いても要領を得ない。自転車を盗まれて困っていたとか、乗り捨ててあるものを拾ってきただけだとか、言い訳めいた言葉が多い。とにかく、厳しい処分になるかならないかの一番のポイントは、本人の反省の気持ちがどれだけ強いかである。今回、あまり反省していないようであれば、どう周りが頑張ったって厳しい処分は免れないし、助ける気にもならない。「明日また来るから、それまでに今回の事件について思っていることを何でもいいからできるだけ沢山手紙の形にして書いておいて。」と言い残して留置所を去った。その手紙を見なければ何も決められない状況だった。
 ○月○日水曜日、法律相談から帰ってきて直ぐに留置所に行く。事実の詳細を聞き、帰りがけに手紙を宅下げで受け取る。全部で20枚ある。何でもいいから沢山書けといったとおりに闇雲に書き付けたのだろうかなどと思いながら目を通す。しかし、それは何でもいいからといって適当に書きなぐったものなどではなかった。その手紙には、A君の悲痛な叫びが綴ってあった。自分の小さな夢に向かって進んで行きたいのに、努力が続かず挫折してしまう自分に対する腹立たしさ、どんどん自分を追い越して夢に近づいていく友達への羨望、唯一の親友が海外に行ってしまうことに対する言い知れぬ不安、足を骨折してしまい、うまく行きかけていた仕事をやめなければならなくなったこと、そんな不安定な精神状態の中でつい自転車を盗んでしまったこと、立ち直りたいという強い気持ちの一方で、自分の中にとても弱い部分があり、気付かぬうちに安易な方へと流されてしまう自分に対する苛立ち、夢と現実との違いへの戸惑い、親との確執・・・。その他、数え上げればキリがないほどの彼の心の中の苦悩と葛藤が記されていた。彼は、一生懸命立ち直ろうと必死にもがき、苦しんでいたのだ。彼にはまだ救いがある。何とかして彼を救いたい、私の心は決まった。
 夕方、両親に事務所に来てもらう。両親は自立を促すために、A君を四国にある規律の厳しい住み込みの職場に預けようとしていたが、検察官に対する印象が良くないと判断し、父親の働く会社で働かせ、四六時中監視できる態勢を作ることにする。更に、すぐに被害者のところに行き謝罪をすること、父親の働く会社の社長に身柄引受書を書いてもらうこと、そして両親それぞれに、できるだけ具体的にこれまでのA君に対する接し方についての反省と、今後の監督指導の方針を書いてくることをお願いした。
 ○月○日木曜日、午前中接見に行く。A君にとって有利な事情も調書にとってもらっておいた方が良いと思い、「自分が書いてほしいと思うことがあったらそれを書いてもらえ。書いてくれなければ署名しなくてもいいから。」とアドバイスして帰る。午後、起訴検事と電話で話をする。勾留延長はせず、起訴か不起訴かの決定は○日の月曜日にするという。時間がない。恐る恐る「なんとか起訴猶予になりませんか…。」と切り出してみる。「あなたの立場は分かるが、はっきり言ってこれは起訴のケースです。他の人と違う扱いはできません。」と断固たる口調で回答される。ある程度予想はしていたが、非常に頑な起訴検事の態度から、現在の極めて厳しい状況を再確認した。夜の7時、2人の被害者の内の1人の家を訪ね、被害者から、起訴しないで欲しいという内容の嘆願書に署名をしてもらう。事前に母親がしっかり謝罪をしていたということと、被害者の一家が優しい人達であったことが幸いした。
 ○月○日金曜日、午前中に起訴検事と面談してA君の反省文2通と嘆願書1通を渡し、重ねて起訴猶予をお願いする。しかし起訴検事の態度は軟化しない。「警察の話では、昨日先生が接見してから急に被疑者が否認を始めたそうではないですか。これではとても起訴猶予になどできませんね。」と言われる。慌てて接見に行く。事情を聞けば単にA君が自分の言い分も書いてほしいといっているだけで、決して犯行の成立を否認しているわけではなかった。その日の内に、被疑者は決して否認してはいないという内容の報告書を検事に提出する。夕方、もう一人の被害者の家に電話を架けた。被害者は高校生である。現在の心境を聞いてみる。この被害者の自転車は、事故で半分遣い物にならなくなっていたのだから、簡単に嘆願書がとれるのではないかと思っていた。しかし、そう甘くはなかった。(続く)
 
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