声明・決議・意見書

会長声明2007.02.23

踏み字事件判決についての会長声明

広島弁護士会
会長  大本和則

1   平成19年1月18日、鹿児島地方裁判所は、鹿児島県警察本部の警部補が取調中の志布志市在住の男性に対して、取調室で男性の親族の名前等を書いた紙を踏むよう強要し、その紙を男性に踏ませた行為(以下、「本件踏み字」という。)について、取調中に少なくとも3回踏みつけさせたと認定し、本件踏み字は、任意捜査による取調べであるか、強制捜査による取調べであるかにかかわらず、違法な有形力の行使であることは明らかであって、鹿児島県が主張する本件踏み字をした理由によっても、全く正当化できないとするとともに、尚書きで、仮に1回でも、また、足先のみを紙に乗せたとしても違法性は十分認められるとした上、慰謝料算定にあたり、違法行為、特に本件踏み字は、その取調手法が常軌を逸し、公権力を笠に着て男性や男性の関係者を侮辱するものであって、踏み字により被った男性の屈辱感など精神的苦痛は甚大といわざるを得ないことや刑事手続きにおける保護を無視した違法行為による男性の精神的苦痛を考慮した上、慰謝料50万円の支払いを命じるとの判決(以下、「本件判決」という。)を言渡した。
2  本件判決は、上記のとおり、踏み字が常軌を逸した取調手法であることを明言するとともに、仮に踏み字行為が1回であったとしても違法性は十分に認められるとして、本件踏み字を厳しく非難した。また、踏み字という取調手法に対する裁判所の厳しい非難の姿勢は、慰謝料の高さ、鹿児島県の求めた仮執行宣言の免脱を認めなかった点にも現れており、裁判所は、最後の人権の砦として、密室における捜査機関の人権蹂躙行為を厳しく断罪しており、本件判決は、極めて妥当な判決といえる。
3  ところで、本事件において鹿児島県は違法性はないと主張したが、注目すべきは、その理由付けの内容である。鹿児島県は、本件踏み字の紙に書かれた内容が男性や男性の関係者を侮辱するものではないことや、被疑者取調べが取調担当者と被疑者のコミュニケーションを通じて、被疑者に犯罪行為に対する自戒の念を生じさせ、被疑者に真実を述べさせるものであって、本件踏み字も、取調べに真摯に向き合ってほしいと願って行った行為であり、原告に暴力を加えたり、精神的・肉体的苦痛を与えるものではないと主張した。踏み字という前近代的な取調手法が常軌を逸した取調手法であることは、現代の一般市民の感覚に照らせば明白であるにもかかわらず、捜査機関は、踏み字の紙に書かれた内容が侮辱するものでなければ、「真実を述べさせる」ため、つまり、被疑者に自白をさせるためには許されると認識しているのである。この認識は、何としてでも被疑者の自白を獲得したい、獲得するためには常軌を逸した違法な取調べも許されるという捜査機関の自白強要、自白偏重の姿勢の根深さを示すものといえる。
4  近時、富山県では、約2年間服役した男性の冤罪が発覚したが、冤罪の原因は、被疑者の自白を獲得したことのみを偏重し、自白の裏付けや客観的証拠の収集を怠った点にあった。このような冤罪事件も捜査機関の自白強要、自白偏重の姿勢が招いた事件であって、後を絶たない。
捜査機関の自制により自白強要、自白偏重への姿勢を改善することが期待できないことは、捜査機関が違法な取調べを繰り返してきた歴史、今日においても本件踏み字のような常軌を逸した違法な取調べを行い、その上、本件踏み字を正当化しようとする捜査機関の姿勢を見れば明らかである。このような捜査機関の自白強要、自白偏重の姿勢を改善させ、捜査の適正化を図り不当な人権蹂躙行為を防止するためには、取調べを監視するとともに事後的に取調べを検証することができるよう、取調べの全過程を録画・録音することにより取調べを可視化することが必要不可欠である。
近く裁判員制度が開始されるが、裁判員として参加する一般市民の多くは、事実認定に参加することへの不安を感じている。その不安を除去するためにも、取調べを可視化し、どのような取調べを経てどのような状況下で供述がなされたかを吟味することは必要不可欠であって、取調べの可視化は裁判員制度が適正に実施される大前提でもある。
5  そこで、広島弁護士会は、捜査機関が、本件踏み字事件判決を真摯に受け止め、自白強要、自白偏重への根強い姿勢を改善し、本件踏み字のような違法な取調べを防止する措置を早急にとること、取調べの全過程の可視化を早急に実現することを強く求めるものである。

以上